声に出したくない日本語
どーも、好きな日本語は「伸身の新月面が描く放物線は栄光への架け橋だ」です。
あの映像を思い出すだけで泣ける。
というわけで、日本語を扱い、様々な日本語を読んで数十年経つが、声に出したい日本語というものを自分で紡ぎ上げられたことはない。
変に作るものではないし、考えて作れるのは一握りの文豪や言葉を扱うプロ中のプロが成せる技なのだと思う。
普段から、ウンコの言い換えや人の新しい悪口を考えている輩には到達できない境地なのである。
なので、早々に諦め、他の方々の言葉を引用させていただく。
ベタなとこで行くと「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」だろうか。
小説自体を読んでいなくても、みんなが知っている書き出しであり、もうなんかタイトルの「雪国」はこの一文で90%は回収していると思う。
なので、本編は読まなくてもいいかと思ってしまう。
実に恐るべき美文である。
教養がアレなので次に出てきた例は「松島や ああ松島や 松島や」である。
いろんなところでパクられ、パロディの恰好のネタにされているが、この三度重ねることでのインパクトは一度聞いたら忘れられない。
実際に松島を訪れたら確実に声に出し、作者と松島を思うことになる。
おれは松島に4-5回行ったが、毎回必ず"松島や"参りを行なう。
行ったことない方には想像できないかもしれないが、なんか松がいっぱい生えていて、詠みたくなる気持ちがわかるのである。
陸地からの景色でもいいが、ぜひ遊覧船に乗り、声に出してみてほしい。
周りの客も堰を切ったように言い始めるはずだ。
今挙げた2つは、どちらも情景がカギになっている。
文章を読むことで頭の中でその景色がファーっと出てきて、ウットリとする。
文章を読むことで追体験し、書き手の想像力をさらにかき立てる。
日本人が持つ原体験と情景が重なり合った時に、「ふぁー、よくぞ日本人に生まれけり」となるのではないだろうか。
また、普段の会話で言いたい日本語もある。
それこそ、「(異性と)付き合うのマジだりーわ」や「それはおれしかできないですね」など、お前はどこぞの英雄だよとツッコミたくなるワードも、機会があれば、隙があらば言いたい!と言う諸君は多いと思う。
そういうのは大抵(自分が)「言いたい」(相手が)「聞きたくない」が背反するもので、言ってしまった結果、アイツはとんでもなくヤベー奴というレッテルを貼られるので注意が必要である。
言ってしまったが最後、そのセリフは未来永劫コスられることになるので、ネタが欲しいおれとしてはどんどん言ってきて欲しい。
総合すると、ナルシストか自虐かそんな類の人種でしか声に出したい日本語は紡げないのである。
いつか、おれも先人を見習って、彫心鏤骨、紡いで行きたいと考えている所存の如く限りなしで候なのである。
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