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『社会的弱者』とはなんなのか -桓騎将軍の生き様から感じたこと

日々を過ごしている中で、最近『社会的弱者』と呼ばれる人たちの定義について考えることがある。

世間一般でいわれている社会的弱者とは、
例えば何かしらの障がいがある人や、精神疾患を患っている人など、
おそらく大多数の人が日常で困らないであろう基本的なことができず困ってしまうような人たちを指すのだろう。

ただ、この使われ方について最近腑に落ちないことが多い。
というのも、私ももしかして弱者では?と思うことが多いのだ。

電話が極度に苦手だったり、人前で注目を浴びるシーンでアガりすぎたり
物事をきっちり覚えることが苦手だったり(記憶障害あるんじゃないかと思うくらい…)

正直過去の思い出とかも、周りの友だちと話していると自分だけすっかり抜けていると感じることが多かった。
あとルールを守るということもちょっと苦手である。

たまにうつ病などの「〇〇チェック」なるものを見かけたりするが、
当てはまりが多い人なんてごまんと居るのではないだろうか。
でも病院に行かなければ「精神疾患」とラベルを貼られないので
なんとかギリギリのところで保っている人が多いのではないかと思う。

私は身体的には健常者であるし、
一応一般企業にも勤めたりしていた経験もある。

なので「何かしらの障がいがある人や、精神疾患を患っている人など、
おそらく大多数の人が日常で困らないであろう基本的なことができず困ってしまうような人たち」には属さないかもしれないが、

一度背中をドンと押されたら社会的弱者になりうる普通の人』なんだろうと思う。


「社会的弱者」の反対語は?

ここで気になったのが、「社会的弱者」の反対って「普通の人」なのか?ということ。
『社会的弱者 反対語』で検索してみると、たまたまヒットした以下の記事が目に留まった。
(もともと堺市のHPに掲載されていたようですが、現在HPからは削除されているようで、出典元が不明確ですみません)

「自分が『強者』だと思っている人ほど、相手の良さが見えず、
劣っている存在だと決めつけるため、本当の意味での「弱者」で
反対に、自分が「弱者」だと思いながらも、それに負けずに前に進もうと行動している人こそ、本当の『強者』 だと思う。」

https://www.city.sakai.lg.jp/kenko/fukushikaigo/shogaifukushi/event_bosyu/event/kokoronowa2021.files/jakushato.pdf

「弱者=幸せでない、強者=幸せ」ということではないのでは、ということを小中学生の子どもたちが導き出したとのことです。

私も、いわゆる「弱者」のほうが発生する気持ちや感情、思考が強者に比べてすさまじいのではないか、
だからこそ考えて考えて考え抜く、自分なりの解を導き出すことでしっかりと歩むべき道のりが見えてきて、周りのいう「幸せ」ではなく自分なりの「幸せ」に近づくことができるのではないかと思いました。


キングダム・桓騎の生き様から読み取れる強い原動力

また、私は結構滾る系の漫画が好きだったりするのですが
最近『キングダム』を読み返す機会があり、夜通し読んでいた時期がありました。

読んでない人には伝わらないかも知れず申し訳ないのですが、
多数の兵を率いる将軍でありながらも冷酷非道で残虐極まりない行為を繰り返す桓騎の過去が明かされていて、思わず一気読みしてしまいました。(そして桓騎の結末も・・)

このあたりの内容で話したいことは山ほどあるのですが、その中でも私が響いたのは桓騎の原動力は『全てに対する強烈な怒り』であることと、
奴隷同然の扱いを受け続けてきた子どもたちに対する桓騎の以下のセリフでした。

「底辺のお前達の"仇"は高い所にいるクソヤロォ共と思っているだろうが、本当はそうじゃない。
底辺が本当に”怒り”を向けるべき相手は、無関係を決め込んでいる"中間のやつら"
数で言うとこの世界はその中間の奴らで占められている。
そいつらが何もしねェから世の中の"構造"が変わらねえんだよ

『キングダム』67巻より


まるで自分に言われているような気持ちにもなり、心臓が止まりそうなくらいの衝撃を受けました。
現代の選挙状況や、世の中に不満を持ちつつSNSで呟くも行動はしないという人がいるような現代社会にも切り込んでいるような感覚がありました。

表に出ている人だけが標的になり、叩いてしまいがちですが
その背後にはどれだけの数がいて、実際に意思決定を後押ししているのは一体誰なのでしょうか?
「何もしない」も意思決定の要素のひとつですよね。

でも何もしないということは、それなりの負の感情を持ったことがないということでもあるのかなと思いました。
そしてそういうひとが中間の大半の人なのではないかと。

私もですが、いかに死に頻した経験がないことを改めて考えさせられました(キングダム時代と比べてもって感じはありますが・・)
なんにせよ、自分の行動や言動、生き方を改めて見つめ直そうと思ったきっかけになりました。

このあたりのシーンについて、以下にざっくりまとめられている記事もありましたのでご参考になれば。まだ読んだことがない人はぜひ読んでほしい…!


「弱者」だからこそ「つよい人」になりうる可能性を秘めている

「弱者」の定義は、きっと時代背景により全く異なるものなんだろうと思います。
ただ、通ずることは弱者ならではの気持ちや感情があるから
踏み出せる行動や、つくれるサービスや体験が生まれる
のかなということ。

桓騎もそうでしたが、結局はそういう人の元に人が集まり
よりつよい絆が生まれ、本当の意味でのつよい力になるのだろうと思います。


なんだか久しぶりに熱い話になってしまいました。
日本の漫画って、学ぶことが本当に多くて素敵な文化ですよね…!

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