ころしたくないもの

7月の朝露に濡れる青々とした葉のように、感性をみずみずしいままに保つ方法が知りたい。

ふと見上げた空の雲に感動したり、ごみ捨てを忘れずに済んだことにホっとしたり、掃除して綺麗になった排水溝に水を流す喜びだったり、アプリが落ちるバグを偶然発見したり、そんな小さな喜びに心が打ち震える敏感さや繊細さを失いたくない。

心が毎日、日常という風雨に晒されて、岩石のように凝り固まっていくものならば、この感性の硬化は、不可逆なのであろう。人間は慣れる生き物で、忘れる生き物でもある。それは生存のために備わったものなのだろう。
けれど、私は、何も忘れたくないし、同じことで何度も傷ついて、膿んだところから出るもので苦しい思いをしていたい。そんな自己破滅願望がある。それはもはや感性の鋭敏さではなく、ただの傷つきやすい人だと言われたらそれまでだが。自己破滅願望では他に、「私が死んでもいいからみんなしね」と思うことがある。友人に話すと、「自分だけは助かりたいと思わないあたりがガチサイコっぽい」と言われたが。

もう何かを見て何かに似てるとか、いったん受容したつもりのプロセスを脳内で踏むのはたくさんだ。わからないものを分からないまま受け入れざるを得ない状況ももう懲り懲りだ。

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