ようやく受け入れた。

「ボヘミアン・ラプソディ」を観た。
観る前は正直、不安だった。
あれほど好きだったフレディ。
記録映像を編集した映画かと思っていたら、
俳優がフレディを演じていると知り、
何故?
フレディは華麗で繊細で豪快。
それは「結果」で、そのために命を削った人だと思っていた。
だから、その「過程」を表にだすのは「彼の美学」に反する。
フレディは決して望まないと思う。
私がQueen、フレディに心血を注いでいた中学高校の時代は
インターネットも当然無く、ほとんど情報が入らなかった。
そもそも、私はフレディのプライベートには全く興味が無かったし、
知りたいとも思わなかった。
私は「フレディそのもの」が
ただ、ただ、訳が分からない位好きだったから。
ヘッドフォンから入ってくるフレディが全てだった。
生まれがどことか、恋人がいるとか、ゲイだとか、
どうでも良いのである。
なので、そのことを描いた映画なら私には的外れである。
しかし、
映画館を出て家まで自転車で走る30分間、
私は涙をこらえる必死の形相。
家の扉を閉めるなり、ドラマでしか見た事が無かった
「号泣」をしている自分がいた。
映画に感動した訳では無い。(すいません)
正直、私にはフレディを演じている俳優は
全くフレディに見えず、
「フレディに会いたい」、「フレディを早く出せよ!」
と思っていた。
映画のエンディングでフレディが映る事も
予測はしていたが、フレディが映った瞬間から
涙が止まらない。とにかく泣けてくる。
その感情は、
「フレディは死んでしまったんだ。。」
という感情である。
寂しくて寂しくて、悲しくて悲しくて。
その瞬間から頭の中でリフレインが止まらない。
震えるほど「孤独」を感じた。
そう、私は長~い年月、

フレディの死を受け入れてなかったのだ。

20数年前にフレディの死をニュースで知った時、
泣かなかったし、泣けなかった。
フレディを見知らぬ俳優が演じ、フレディが亡くなったことが
スクリーンで映し出され、
今、ようやく泣けた。

そして、私は死ぬことが少し怖くなくなった。

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