複雑な思い

去年は、Queenというか、フレディーがメジャーな局の朝の番組で
紹介されるという、数年前まで信じられない現象が起きた年だった。
1970年代、小中高をフレディー命で過ごし(時々浮気しました)、
彼を自分の半身の様に感じていた10代、
フレディーを思い出すことも無く、現実世界で戦い生き抜いた30数年。
まさか、フレディーが今「お茶の間」に登場するとは!
複雑な思いである。
私が大学生の時、フレディー愛を語ると、
殆どの女子大生(80年代です~聖子ちゃん同い年です~)は存在すら知らず、知っている輩も「あのタイツ男ね~クスッ」で済まされていたフレディーが、今や「神格化」されている。
まあ、良いんですけど~
でも、なんか違う。
逆に覚める自分が居る。
今、もてはやされているフレディーは私が恋焦がれたフレディーでは無い。
フレディーが死んでもなお「商業的に利用される」のも、
彼の功績かも知れない。でも、私から見れば哀れに感じる。
エジプトでファラオの墓が掘り起こされ、「エジプト展」として
世界中の美術館や百貨店で回覧されるのと似た気分。
映画館で感動し、泣き、歌う民。
驚愕!私はあの映画は二度と見たくない。
だって、フレディーじゃ無いも~~~ん。
なんで、あの映画で泣けるの?その当時の自分を懐かしがって
泣いてる?感動している自分に泣いている?
私はフレディーを埋葬し泣いた。
でも、私の中で埋葬したフレディーが再び今、蘇った事も間違い無い。
悲しげな瞳をした、綺麗な指の(顔も好きよ)、歌っている時だけが唯一全てから解放されるフレディーが。
まあ、不思議な年でした。

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