どこまでも譲れるものではない

 「売り手良し、買い手良し、世間良し」のいわゆる三方良しは良い仕事の基本と言える。更に良い仕事の条件は、やるべきことについて「1.決まっていること。2.理解していること。3.方法を知っていること。4.やるべき時にやっていること」および「5.やるべきでないことをやらないこと」だと言える。しかしながらこれらの原理原則を逸脱する組織が後を断たない。GoToなんとか、情報の改ざん、不良品のリコール、工事の手抜き、不正決算など枚挙に暇ない。いずれも有名ブランドを誇ってきた大会社が犯した事件である。企業の崩壊の裏に、それらの組織を率いたリーダーという人間たちの崩壊を見ているようで、「貧すれば鈍す」の状況を呈している。
 ノーベル賞受賞者であるダニエル・カーネマン教授のプロスペクト理論が示すように、損失が出ている局面では、人は通常では決して選ばないような賭けの行為を選択してしまう、ということを実証しているかのようである。IRという名の公設とばく場の誘致はその典型である。管理されたばくちなら大丈夫などとよくも言えたものだ。

 これらの人々に共通する気分は“あせり”である。利をあせり、成果をあせり、他人を出し抜くことだけで頭が一杯になっている。あせりが生み出す社会規範の逸脱行為は、最初に仕事の手抜きとなって現れる。協働作業として機能していた外注請負構造もいつしか丸投げ仕事の温床となり、仕事の責任の所在も不明となり、全階層の人すべてが「それは私の担当ではありません」の大合唱となっている。
 正常領域と異常領域の境界線のことをスレッショルド(閾値)と呼び、二つの領域にはそれぞれ幅がある。仕事の品質を保つための正常領域における複数の条件を一つずつ外していくと品質は段々と低下して異常領域に近づく。そしてある最後の条件を外した時に異常領域に陥ることになる。この最後の条件だけは外すわけにはいかない。品質は妥協が可能だが、どこまでも譲れるものではない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?