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カナヅチンピック(121)

蒸し暑さが続いて倒れそうだ。気温より湿度に弱い体なので、この時期は汗だくで落語をやっている。力を抜いて汗だくになっているので、何らかの病人のような佇まいかもしれない。立てばゾンビ座れば犬糞、歩く姿は夢遊病といったところだ。しかし反対に夏が好きなヤカラもいる。そういうヤカラは海だ水着だ日焼けだヒャッホーとなるそうで大変に羨ましい限りだが、人種が違うのだから仕方がないと諦めている。大体が冷房の効いた部屋で横寝になってアマプラやツールドフランスでも観ながら、ガツンとみかんを齧っているくらいが性に合っているのだ。海に行ったところでカナヅチなので、浮き輪がなくてはどうにならないし、浮き輪のまんま沖に流されて鮫の餌になる可能性だってないわけではないのだ。鮫からすると浮き輪やゴムボートは亀に見えるらしく格好の餌食である。陸ではノロい亀さんだって水の中ではスイスイ泳ぐ。それに対して浮き輪人間は亀ほどのスピードも出ないので無防備極まりなく、鮫にとって手軽なおやつでありブラックサンダーのようなものなのである。ではカナヅチの人間は海は楽しめないのか、そんなことはない。カナヅチだって楽しみ方は色々あるのだと思う。筆者は人種が違うのでやらないが、ビーチバレーをしたりスイカ割りをしたりと様々あるのだろうと思う。それはそれで良いのだろうが、自然とホタテをなめてはいけない。カナヅチの人間たちには泳げないのに水場に近づく、その怖さを忘れないようにしてもらいたい。
さて、ここまで真剣に書いてみたものの泳げる人にとっては頭の上にハテナマークが浮かんでいることであろう。人間の体は浮くようになってるんだから、カナヅチなんてありえないでしょ、と。泳げるものたちは皆一様にこう言うのだが、それはカナヅチを理解していない。実はカナヅチには理由があるのだ。

物が水に浮くかどうかは比重で決まる。つまり簡単に言うと水より重いか軽いかだ。水より軽ければ浮くし、水より重けれは沈む。となると、人間は水より重いのだから浮くわけがないのだ。では何故浮くのか。人間には肺があり浮袋の役目を果たし、水より比重が小さくなって浮くのだそうだ。つまり息を吸わないと人間は沈むのであり、そもそも人間の体は浮くように出来ていないのだ。じゃあなぜ水死体、どざえもんは浮くのか。どざえもんこそそもそも人間が浮く証拠ではないかとお考えになる方もいらっしゃるだろう。いい質問ですね、お答えしましょう。人間は死ぬと腸内細菌が何らかのガスを発生させます。硫化水素だのメタンだのでお腹が膨れますのです。その結果比重が軽くなり浮くのですよ。勉強になりましたね。つまりどういうことか。人間の体はそもそも浮くように作られていない、陸戦型ガンタンクなようなもので、そこに無理やり空気を入れて浮かせているいるのであります上官。なのでカナヅチの人間はいて当たり前なんでSir。

泳げる人は肺に空気をため込んで技術で浮いている、これは凄いことだ。因みに息を吸った状態でも比重は0.98くらいなので、人間の体は2%しか水の上には出ないそうだ。2%だから頭が少し水から出るくらいであとは沈んだまま。それを技術によってどうにかしているのが人間なのだ。もうすぐオリンピックが始まる。人間よりも優れたアスリートは自然界にいくらも溢れている。100メートル走をやったってチーターに敵わず、重量をいくら上げても象の比ではない。イルカのように泳げもしないし、戦ったところで羆に叶わない。それでも人間の体でやれるところまでやる、その限界を見せてくれるのがアスリート達だ。チーターより遅かろうが象より力がなかろうが関係ない。人間の人間による人間のためのドラマがオリンピックにはあるのである。アスリートたちは令和6年、2024年現時点での霊長類ヒト科ヒト属の限界をそれぞれ見せてくれるはずだ。余計なことは考えず応援しよう、エアコンの効いた部屋でガツンとみかんを齧りながら。

この連載は±3落語会事務局のウェブサイトにて掲載されているものです。 https://pm3rakugo.jimdofree.com