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似合う似合わない (70)

 パーソナルカラーと呼ばれるものがある。その人の肌の色や骨格、顔の濃さや髪質などにより、似合う色が違うのだそうだ。どんなに可愛いピンク色が好きでもパーソナルカラーが合ってないと似合わないし、逆に下水のドブのような色が嫌いでも、とても似合うことがある。なんだか残酷だが、日本人に金髪が似合わないのと同様の事実なのだ。
しかし、そもそも似合うと似合わないとは一体なんなんだろうか。主観と客観のどちらから判断しているのだろうか。なんだか難しくなりそうで敬遠したいところだが、ほんの少しだけ煮込ませてもらいたい。

主観だが、老婆の膝の上には猫が似合う。これが何となく正解な気がするのは我々が日本で暮らしているからだろう。日本人の老婆は平均的に体も小さい、となると大きな動物を膝に乗せるのは困難だ。縁側に座布団を敷いて座る老婆の膝の上に、コモドオオトカゲは大き過ぎて収まらないし、小さいからといってキングコブラも不自然に感じる。日本人の体型には猫が丁度良く、身の丈に合っているよう感じる。これが欧米の老婆となると変わってくる。女性でも欧米は横にも縦にも身体が大きい(筆者の偏見の疑いがある)ので、猫のような小動物では物足りなさを感じるのではあるまいか。椅子に座り編み物などをしている欧米の老婆の横にはやはりゴールデンレトリーバーやフランダースの犬のパトラッシュのような大型犬が似合うように感じる。ともすると似合う似合わないには身体の大きさが関係しているのか、いや、そんな単純ではない。何となくその国の文化にも要因はあるように思う。何故なら完全に主観だが、インドの老婆にはキングコブラが似合うように感じるからだ。

日本の老婆には猫、欧米の老婆には大型犬、インドの老婆にはキングコブラ。これらは完全に主観ではあるが、客観的にはどうだろう。大勢の読者諸君が賛成をしてくれるようなら客観的にも正解(正解がどういう意味を持つかは置いて、似合うに近い意味だと思って欲しい)となるのではないだろうか。とはいえ例え正解だとしても、それは煮込む日々を読む日本の文化圏の考え方での正解ではある。メキシコの人から見たら違ってくるかもしれない。日本の老婆の肩の上には鷹が似合うし、欧米の老婆のそばにはセイウチ、インドの老婆は象に跨がるのがベストマッチかもしれない。

「あなたには似合わないよ」

そんなことを言われる機会は幾つもあるだろう。日本という村社会においては、その人が孤立しないためにする客観的なものからの優しさだったりする。確かに日本では似合わない、しかし世界ではどうだろうか。よく考えてその通りだと思えば意見を受け入れ、いやマダガスカルではこれが主流なのだと思えば我を通せば良い。意見を聞いて自分で決める。自分のことは自分でしっかり決めることが大事なのである。去年、似合うだろうとシャツを買った。まあ白や黒が似合わないことはほぼないのだが、もうそのシャツは着ないし、白い服は買わないと決めた。今度ゴミの日に捨てようとさえ思っている。理由は襟首が汗や何かで黄色くなっているからだ。

世の中は似合う似合わないだけではない。例え似合うとしても汗染みのようなものに落胆することがある。とはいえ汗染みさえもマダガスカルでは主流かもしれないし、パーソナル汗染みなるものがあるかもしれない。なんだかわからないことばかりではあるが、わからないながらも煮込み続けていこうと思うので、ヨロシク。

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この連載は±3落語会事務局のウェブサイトにて掲載されているものです。 https://pm3rakugo.jimdofree.com