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ジュール・ヴェルヌ (34)

”人間が想像できることは、人間が必ず実現できる
(Tout ce qu'un homme est capable d'imaginer, d'autres hommes seront capables)”

凄い言葉である。調べてみたところ、フランスの作家ジュール・ヴェルヌという人の言葉らしいが、もっと調べてみたところどうやら捏造らしい。ジュール・ヴェルヌ本人はこんな無茶なことは言ってないそうだ。それはそうだろう。いくらなんでも自由度が高過ぎる。実現出来ることは人間の出来る範囲でしか出来ない。空から美少女が降ってきたり、桃から太郎が生まれたり、机の引き出しから猫型ロボットが出たりなどは、想像の中でしかありえないのだ。とはいえ、人間の出来る範囲がどこまでなのかは、現時点ではまだわからない。しかし、恐らくはどこまで人間の文化文明が発展したとしても、無理なものは無理だろう。では、なぜ我々は無理なこと、不可能な話に心を躍らせるのだろう。答えが出せる気はしないが、少しだけでも考えてみたい。

もし現実世界で親しい友人に『僕と契約して魔法少女になってよ』などと言われたら、まずは「どうしたの?」と問うはずだ。友人が今のは冗談だと返したら不問にするが、真剣な顔でもう一度『僕と契約して魔法少女になってよ』と繰り返し言おうものなら、然るべき病院を勧める。ないものはない。現実世界とはそういうところである。しかし、同じことが創作物の中で行われると、そのなかのキャラクターに病院を勧めたくはならない。それどころか登場人物に感情移入をし、物語の結末に涙を流したりする。こんな不思議なことがあるだろうか。当たり前過ぎて何が不思議か伝わらないかもしれないが、ほんの少しだけ考えて欲しい。友人が放つ『魔法少女になってよ』という言葉はそれなりに衝撃が強いはずだ。それにも関わらず感情は殆ど揺さぶられず、病院を勧めるだけなのだ。一方創作物は作り話、悪く言うと嘘なのだ。嘘の話に現実以上に心を動かされているのだ。わからない、本当にわからない。

もしかすると我々人間は現実より嘘の方が好きなのだろうか。しかし、狼少年の言う『狼が来たぞ〜』のように、まるっきり嘘とわかるものに興味が湧くことがないのも知っている。してみるとただの嘘と作り話にも大きな差があるのかもしれない。いや、この二つの違いについて考えるのはよそう。

頭の中で想像する行為は現実世界で行うどの行為よりも魅力的なのかもしれない。想像で楽しんでもらえるかは、表現者側の技術や発想次第だ。創作物においてネタなどは出ない時もある。多々ある。ウルトラある。それこそ何かをパクろうかとも思うし、全部嘘にしようかなどとも思う。そういえば冒頭のジュール・ヴェルヌの言葉は捏造であった。しかし、だからこそ心が動くのかもしれない。未来ある少年少女にとっては夢のような言葉だ。因みにジュール・ヴェルヌはこんなことも言っている。

なぜ、僕らは子供なんだろう。
大人でなければならない時に。
Why, we would do a child.
When it must be an adult.

これは捏造ではない。が、そうだなぁと思う。

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この連載は±3落語会事務局のウェブサイトにて掲載されているものです。 https://pm3rakugo.jimdofree.com