対コロナ 姉の死

突然ですが、昨秋、姉を亡くしました。

死因は脳疾患。

所謂、突然死と言うやつです。まだ40代なかばでした。

その日、私は末子の学生生活最後の運動会の日でした。

無事に済み、帰宅して入浴、夕食そして団欒と日常と変わらない一日が終わろうとしていた時でした。

通勤の都合で実母宅に下宿している長子から電話が入りました。

以下、「」内は再現。

長「おばちゃんが倒れたらしい!俺も研修帰りで詳しい事はわからないけど、ばーばから電話あった!」

私「は?どう言う事?すぐに行った方がいい?」

長「そうして!俺も途中下車して向かうから!」

あわてて側にいた末子に伝え、主人にも今から出かけるという旨を伝えただけでした。

この時、私はまだ事の重大さに気付いていませんでした。
病院に行ったら姉に会えて、ともすれば普通に会話できるのでは?と言う程度でした。今思えば◯◯病院など病院の指示がなかったので、そんな呑気な状態ではないのは明らかなんですけどね。

容態によっては泊まり込みかな?と思い、車に毛布を積み末子と共に車に乗り込んだ時に姪からの電話。

姪「ママ亡くなった」

私「え??」

その後は、側にいた末子に主人に伝えてくるように頼み、泣きじゃくる姪に色々話していました。

主人が運転してくれる事になり、文字通り、取るものもとりあえず向かったのです。

途中、警察が話を聞きたいと言っていると言う事で電話を切り、車の助手席で流れる景色を眺めながら色んな思いが去来しました。

こんな時って、普段の3倍以上時間が長く感じるものです。
日頃30分程で着く距離がもどかしく感じました。

(実際には、そんなに差があった訳ではなく、むしろ少し早いくらいでした。)

途中、仕事先から向かう甥を乗せ母の指示で警察署に到着。

簡単な説明を聞き、姉に対面しました。

霊安室に安置された姉は青白く、私の知っている姉ではないようでした。

それからは明け方まで、姉宅に警察が来て、朝一から検死、浴室で発見された事から腐敗を防ぐエンバーミング(体液と保存液を入れ替え、遺体の傷みを遅らせる処置)等で、ゆっくり会えたのは翌々日でした。
そして、バタバタと通夜、葬儀。

通夜の夜は一睡もする事なく姉の側で過ごしました。
エンバーミングのおかげで、死後硬直もほとんどなく、ほんとに眠っているようでした。

まだまだ、足りないけど、それでも荼毘に付すまで、比較的穏やかに、ゆっくりと過ごせました。

この時間は残された者にとって、現実を受け止め、諦める為の時間でもあるのかなと思います。

でも、万一コロナで亡くなったら…

メディア情報ですが、志村けんさんのように骨上げまで他人の手で行われ、満足な旅支度も整えてあげる事もできません。
世界中の人々に沢山の笑いを届け、少なくともコントを見ている時間は苦しみから解放されたと言う方も少なくない程の稀代の喜劇王の最後が、身内にも看取られる事なく、ご本人も何が何かわからないままの最後なんて、あまりにも悲しいと思いませんか?

今、非常事態宣言が出て、大半の方は最善を尽くされていると思います。

でも、まだ、どこか他人事で対岸の火事だと言う認識の方がいるのです。

どうか、そんな人が一人でも減って、あの時は大変だったね。と笑い合える日が一日でも早く訪れて、突然、身内を失うなんて辛い思いをする人が一人でも減るように切に願います。




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