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デイリータスクリストを3分割する

自分で予定の管理をしやすくするため、1日を3つのセクションに分けている。
7-13、13-19、19-23

セクションごとのねらい

3つのセクションにはそれぞれねらいがある。
目的というほどかたくはない。どちらかというとテーマのほうがニュアンスとしてはちかく、未来の私にねがいを込めているともいえる。

第1セクション 7-13 最優先事項を優先する

1日の中で、1番パフォーマンスが出る時間帯である。基本的に起床は6時台で、そこから朝の身支度や子ども世話が入ってくる。
7時以降、自分のことに回せる時間がある場合も多いため、このような時間軸で管理をしている。
朝は、余計なことをしていないため、脳がすっきりしている。
仕事に余裕があるときは、朝活として自分の思考の整理をしている。私はジャーナリングと読んでいるが、ただ感情をかき出す。思考をかき出す。そこにテーマや答えはない。そうしているうちに考えなければいけないことを思い付き、そのまま考える、なんてこともしている。仕事のことも、私生活のことも区別はしていない。

そして、13時までの時間に1日の重要な仕事は終わらせるようにしている。
その日のうちにおわらせなければいけないことは、午前で終えることで、午後はすっきりした気持ちで、仕事に向き合える。

基本的に、メンタルに波が起きやすく、その波を無視した仕事の仕方は、自分のパフォーマンスを下げるため、避けるようにしている。

第2セクション 13-19 ロスタイム

午後はロスタイムである。なんてことを言っているんだと、叱られそうな気もするが、仕方ないのだ。なぜなら、そんなに私の集中は持たない。15時くらいまでは頑張れるが、それ以降はどんどんいろんなものが低下をする。19時ごろには、もうまともに考えがまとまらない。

もちろん、実際はだらだらとすごすわけではない。しかし、昼食後は脳内の動きも鈍くなるし、そのあとも元に簡単に戻れるわけではない。
会議などが多く入るため、会議での記録の取り方などは、その時々によって工夫をしている。アナログのほうが良い場合もあるし、ひたすらテキストで記録を取る場合もある。

そうして、1日の大半が終わる。

第3セクション 19-23 デジタルデトックスと知的消費活動

自分にとって、仕事でだいたいの思考に関する力は使い切るようだ。
そこから、何かを考えるということは、意図的には難しい。

だから、ここでは漫画やアニメを見たり、ただ好きなようにアナログノートに文字を書いたりしている。
以前は、この時間にも頑張ってノートの整理をしていた。しかし、1日を通じてここに労力を残す仕事の仕方が私にはできなかった。そんなに器用ではなかった。

だから、ここでは消費をメインにしている。ただ、コンテンツという刺激から思考が加速する場合もある。そんな時は、ノートにメモをしている。

デジタル漬けの毎日を送っていると、デジタルに触れすぎることは悪いことという罪悪感が生まれてくる。
たしかに、デジタルに依存をしてしまった場合、目や脳に一定の影響があるだろう。しかし、それが今すぐ何か影響があるわけではない。それでも気にしてしまうのなら、違うところに書けばいい。

だからここはあえてアナログにしている。もちろん、これを気にしないのであれば、別に問題ないだろう。

セクションに分けるという考え方

考え方の参考になったのはタスクシュートだ。
タスクシュートでは、時間単位で行動を決めるわけではなく、このあたりの時間でこれをやろうというタスクの並び替えを行う。これは、自分の実行記録から計画を立てるため、再現性が高いというものだ。
そもそもタスクは、期日より実行日のほうが重要である。なぜなら、期日に実行して完了するより、期日より前に取り組んで終わらせることのほうが多いからだ。内容によっては、期日でも問題ないタスクもあるだろう。しかし、私の仕事では、1日で、自分だけで完結する仕事は少ない。誰かに共有をし、最終的な決定を自分や他人がすることのほうが多い。

そのため、自分の時間に合わせて、どの時間帯ならできそうか。どの時間帯に行いたいか。そういうことを考えて計画を立てていく。

ただ、タスクシュートでもこのことはできるのだが、今の私はObisidanで行っている。
なぜなら、変動割込みが多いのだ。

そのときに、タスクシュートではタスクの並び替えにラグが発生する。
オンライン上のデータを移動するというのは、多少のラグは仕方ない。しかし、私はせっかちなのだろう。
自分の身体感覚とある程度一致していないと、ストレスを感じてしまう。

そもそも、デジタルを使うときは、それが便利だからである。
それなのに、デジタルで不便を感じるのはいただけない。それならば付箋で並び替えたほうが身体感覚に近い状態となる。

それでは意味がない。わたしにとってちょうどいいを探すことのできるほうが重要だ。
そして、それが大切と感じるのは、タスクの並び替えを随時行いながら一日を過ごすことに意味を感じるからである。

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