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私を縛る大切な存在とは・・・?

50代最後の一年となり、いよいよ人生も本当の終盤を迎えます。
頑張って若く見せようとかオシャレをしようとかもともとあまりそんな気持ちの強い方ではなかったこともあってヤバイ!
と思うこともしばしば

50代って本当に女性にとっては修行ともいえる10年なのではないかと思います。もう最後だから言えるけど

タイトルとどんな風につながるのか?
お楽しみに

思い通りに始まらない一日

子供がいるわけでもないのに思い通りに始まらない一日
ちょっとだけと思って開いたSNSに思いの他のめりこむこんでしまったり。
個人事業主なので朝のうちにしっかり仕事を進めようと思ってやっと集中モードに入ったら、宅急便が来て開けて見て説明書を読んでなんてことになると
集中モードもやり直し・・・ハア

今朝のハプニングは?

シングルマザーの私にとって、子育てを終えるということは
イコール孤独な生活のスタートでもありました。

一人と二人は大きく違います。

でも、私には小さなお相手がおりまして
チワワちゃんたちが2匹です。
この一匹がなんと!何が気に入らなかったのか?
お布団にオシッコをしてくれましたー!!

チワコ達

どっちだ!と問い詰めましたが「私じゃないよ~」ってとぼけられて
ちょっとイラっとしましたが、 そこは年の功というか時間に追われていない者の
余裕というか・・・?

ということで、今朝の家事は3倍に膨れ上がりました。

チワワは結構抜け毛が激しく、布団に上げると毎日コロコロも大変
掃除機も毎日になりますが、これは私の朝のエクササイズを兼ねるので問題なしです。洗濯機は仕事をしながら回し、休憩時間に干すというのが通常ですが、
今日は大物洗いとなったのでそうもいかない・・・
カバーを外して、罪のない布団も丸洗いの刑となり、浴室のカワックで温風で乾燥です。

子育て期の私なら、怒り倒していたのでしょうが、こんな風に私を縛ったり、怒らせたり、仕事を増やしてくれる存在の価値はとても高くなりました。

本当は3匹いました。

私は、生まれて物心ついたときから犬のいる生活だったので
一人暮らしの寂しさを犬で誤魔化しているのでしょ!
可哀そうな人ねーって思われようが犬との生活はやめられないと思っています。

私のような者に人生(犬生)を預けてくれて、心を開いてくれて喜びを与えてくれる存在であるペットという家族は
いつだって大変さを何倍もの幸せや癒しに変えて返してくれる存在です。

結婚する時も犬を連れていったし、離婚時はもちろん
ワンオペ育児は犬に手伝ってもらって
(ホント、ありがとう)
ベビーカーとリードと買い物の袋でひーひー言って言いながら
頑張っていました。若くて必死な時代でした。

ルンとチロ


このこ達が天国に逝ってしまったころ、
大好きな父もこの世を去り
それこそ、寂しくて今のチワワ達が我が家にやってきたのですが、本当は3匹いました。

先日、虹の橋を渡ったのがミルクちゃん・・・
この子は本当に優しい子で控えめで、一番最初に家族の仲間になったのに
偉そうにせず、何でも譲ってやるタイプ
でも、時々その分甘えてくるのが愛しい子でした。

ミルク1

愛情を受けたい小さな命

ペットとの生活は本当に幸せ♡
責任を持つのは確かに大変だし、日々のお世話もかなり大変ですが、
核家族化がこれだけ進み、コロナ禍で人との交流もままならないご時世
一人で孤独に過ごすよりも温かな命と一緒に過ごすという選択は決して寂しさを誤魔化すといったようなマイナスなことでは
ないと思います。

人の勝手でこの世に生まれてきたペット達の命は、どう生まれようと人からの愛情を受けられなければ生きていけない弱く、
小さな命です。

人と共に生きるという選択肢以外の道がない彼らは、兎に角必死で愛情を待っています。そして、何倍もの愛をくれる存在なのです。


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