見出し画像

《才能とは何だろう1》その人の中から出てくるもの。

あくまで私の持論だが、人間の才能というものはどんなものが埋まっているのか分からないもので、私達の指導によりその才能は芽を出しはじめるのではないだろうか。私達指導者はその芽を大きく育て開花させることができればなんと素晴らしいか。そのために私はいったい何をすればいいのだろう。そう自問自答しながら日々ピアノのレッスンをさせて頂いている。

いったい教えるということは、どういうことなのか。

一ピアノ講師としてまだ半人前ではあるが、自分の経験を通して感じることを素直に書き留めておきたい。

だれでもピアノを弾けるようになるんだよ。

音楽教室に入ってまず教えて頂いたのは、そんなことだった。『生徒が10人いれば10通りの方法があり、人それぞれの過程を通過しながらピアノを習得していくだろう。皆、誰でもピアノが弾けるようになるはずだ』
私は感動した。『人は誰一人、人として同じ人はおらず、十人十色、皆それぞれ。』そんなことを常日ごろ感じていたからだ。

『そんな事ができるようになるなんて、この仕事は私にとって天職だわ。』単純な私はすぐに思い込んだ。
だが、壁にはすぐにぶち当たった。重くて大きな壁だった。

もちろんだが、10人いれば10通り、100人いれば100通りのやり方が必要なのだ。予想はすぐにできたが、単純ではなかった。入社当初に配られた『講師の手引き』にはその100通りのやり方が載っているわけではないのである。
人間の取り扱い説明書など、この世の中にはおおよそ、無いに等しい。おそらく、誰も未だかつて、『人間とはこのようにして成長するものであるから、こうすることが望ましい』と結論を出し切った人はいないのではないだろうか。いや、ただ、私が知らないだけかもしれないが。おそらく、本当に100人いれば100通りの人格があるので、とても一言で言い表わせないのではないだろうか。

『手引き書』にはある程度のことは書いてあり、0歳の頃からスタートし2歳、3歳時の発達段階、などそれぞれの月齢についても学び、子どもに対しての主なこころ構えのようなものも学ばせて頂いた。実際のレッスンを見学し、どんなリズムカードがあるとか、どんなグッズを作るといいよとか、こんな言葉がけが大切だとか。
だがしかし、それだけでは、実際の子ども達には通用しないのである。

まさに十人十色。ああ言えばこういう。『なんで せんせいの おしりは おおきいの?』そんなことを聞いてくる5歳時の男の子の対処法も載っていなければ、この子にはこのやり方で通じたけど、この子には分かってもらえない。いったいどう接してあげれば分かってくれるのだろうか。泣いてばかりでレッスンにならないあの子はどうすれば、レッスンが始められるようになるのだろうか。そのことに対する解決方法までは載っていないのである。その連続が『誰もがピアノを弾けるようになるんだよ』この言葉を信じてレッスンをしている私を苦しめた。

お気づきの方も多いだろうが、私には人生の経験が足りていないのだ。しばらくして鬱病を発症したが、幸いにも自宅にあったPCで出会った人々に救われる経験をし、自分と違う経験を重ねてきた人々との接触が、結果として私を大きく成長させてくれた。

再び、音楽教室でレッスンをさせて頂くことが出来たのだ。一度仕事を辞めてから5年後の事だった。一度自分が傷付いた職場だったが、また戻りたいと強く思ったのは、他でもない。音楽が好きだったからだ。ピアノ以外の仕事も経験しながら自宅の生徒だけは数人教え続けていたのも良かったのかもしれない。自宅の生徒さんというのは当時は気楽なものだった。10人いたら10人ともピアノが弾けるようにしなければならないと自分で思い込む必要がなかったからだ。当時の生徒さんに対して全くもって失礼であり、今思うと恥ずかしい限りでならないが。

だが、しかし、私は心のどこかであの言葉を信じていた。『だれでもピアノを弾けるようになるんだよ』その言葉はスズキメソードの創立者である鈴木鎮一先生の著書『愛に生きる』という本の中にも書いてあったのだ。という事は、絶対、何かやり方があるはずだ。言葉がけなのか、本当は厳しくレッスンした方がいいのか、いったいどうすればいいのか私にピンとくる明確な答えはその本にも載っていなかった。いや、私が読み取れなかっただけなのだろう。答えを見いだせないまま、私も一児の母となり男の子を育てはじめることになった。

子育てに学んだこと。


もちろんだが、はじめての子育てである。『寝顔がかわいくてうっとりするわ』などとのん気なことも言っていられない。産休は3ヶ月しかなかったのである。

まだ抱っこしていたい我が子を泣きながら母に預け、仕事に行く日々。それでも、我が子の成長は嬉しかったし、喜びの連続だった。今思うとそんなことしか覚えてないのだが、当時は大変な日々を過ごしていたと思う。ただ、息子の成長がそれを忘れさせてくれていた。成長の喜びだけが思い出として残っている。

我が子の子育てを通じて、また、我が子にピアノを習いはじめさせることでレッスンに対する考え方もまた、少しずつ変わっていくのだが、私は大きな間違いをしていた。

遺伝子である。

遺伝子が良ければ、我が子もピアノがきっと上手になるだろうと信じ切っていた。このことも『教えるということ』に関わるようになってくるのだが、今日はここまでとさせて頂こう。思ったより、長くなり過ぎて話しがまとまらなくなってしまった。というわけで続きはまた明日とさせて頂きます。ごきげんよう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?