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子を持たない選択と、親の話

孫の顔が見せられないけど


母からLINEが入った。
親戚夫婦に子どもが出来たらしい。
何年もの不妊治療を乗り越えた結果であり、とても喜ばしい。
こうなると放任主義の母からも「あなたたちはどう?」という旨の言葉が聞かれた。
母よ、すまないが私は子どもを産み育てる気はない。

「夫婦ともに治療してまで欲しくないんだ。
孫の顔は見せられないかもしれない。ごめんね」
と返すと、
「自分たち次第なんだから、いいんだよ〜」
との返答だった。やはり私の母だ。

両親は口出しというものを決してしない。
路頭に迷って相談しようものなら、「あなたの決めたことなら応援する」と返ってくる。
これを思春期の私は、「無関心」と捉えた。
進路を決める時、親に言われてさ…という友だちが心底羨ましかった。
今も継続しているかもわからないが、親から何かを押し付けてほしい気持ちがあったと思う。
我が両親は、周りから見れば「尊重する親」と映っていた。
隣の芝生は青い。

孫ができたら、大きな親孝行になることだろう。
しかし両親は、今私が元気で生活していること自体を孝行だと伝えてくれる。
感謝しかない。
大人になって、両親は私を「無条件に尊重してくれている」ことを実感した。

子どもがほしくない理由


自分の面倒を見ることで精一杯だからだ。
加えて、同時進行で子どもの定期検診や人付き合い、教育、PTA、学費のこと…?
は?もう考えられない。
世の中のママさんたちは、私にとって心身共に最強に見える。

自身がろくに外出しない人間なので、就学までは2人きりの静かな幼少期を過ごさせるに違いない。
極端な例を挙げるが、
性格は5割、能力は7割が遺伝によるもので、残りは環境次第
なんてデータもある。
こういう統計は結構信じている。
身近な人を見ているとそう思うし、自身も当てはまる。

自身と似た性質を持つ可能性が1%でもある限り、我が子の人生のスタートボタンを勝手に押すことが怖い。
わかっている。
いざ子が出来れば変わるものだとか、子供は自分で成長していくんだとか。
だけど、嫌なものは嫌だ。
このように私が色々なものから逃れたいため、人を産み育てるなど以ての外だろう。
それこそ、仮に我が子から相談があれば、
「あなたがしたいなら応援する。人を傷つけるようなことはだめだよ」
と伝える。
個人を尊重したいからこそ、このような言葉が出てしまうだろう。
自身がその自由すぎる環境で悩んだというのに。

里親になること


自分と血の繋がった子どもにはこだわりがないが、人を守り育てたい自分もどこかにいる。
そんなとき、里親になることが視野に入ってくる。
血は繋がらずとも同じ屋根の下で暮らすのもいいよね。
そうしたら、その子のしたいことには全力で背中を押す。
真っ直ぐな言葉をいっぱいかけて、ぎゅうと抱きしめて、友だちみたいに一緒に遊ぶのだ。
まぁ、最初はぎこちないかもしれないけど…
自分が今までかけて欲しかった言葉、して欲しかったことも一緒にラッピングして、プレゼントしたい。
その子が大人になったときに役立つものを残せたら、これ以上のことはない。

里親制度は現在、自治体によっては年齢制限があったりするようだが、先のことはわからない。
近く夫と相談していく。

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