「虚々実々也我私篇」

「虚々実々也我私篇」村山かおりの心の夜
一篇 「ラーメン」

朝起きてまず確認するのはお腹の調子だ。元々胃腸が弱い。その胃腸の調子次第で大分味が変わる。だから調子が悪かったら行かないのもアリだったが、その日の胃腸の状態は完璧だった。
それと、前日満腹にしないのも重要だ。なるべく胃腸への負担をかけないコトで、それを味わい尽くせる。
食べる前にそれだけ気を使うのは私にとって当たり前だ。もう10数年そうしているから習慣ついてる。
そこまでして食べたいもの。

「ラーメン」

いつからだろう。
ラーメンが日本食になったのは。
そう。ラーメンは日本食のカテゴリーに入る。本場中国では「日式拉麵」と表記されるほど別物なのだ。
昔はラーメンと言えば夜鳴きラーメンと言った、いわゆる屋台のラーメンが主流で店を構えてラーメンだけで勝負する店は本当に少なかった。
だが、1980年後半頃からお店を持つラーメン屋が増えだし、1990年以降幹線道路沿いにラーメン屋が増えブームになりだし、そこから急速に発展していき、今では立派な日本食、日常食になった。とまぁ、ラーメンのうんちくはここら辺にして。
私はラーメンが大好きだ。
きっかけは歌舞伎町の二○だった。初めてラーメンで腹が満たされた。とかく大食いだった私はラーメン1杯位では満足しないくらいの大食いであったから、1杯で満足できる二○は私にとってありがたかった。そこから二○のほぼ店を食べ歩き、そこで気づく。二○はラーメンでなく二○と言う食べ物だと。
では、ラーメンとは?となり、色んなラーメンを食べるうちにいつの間にかラーメンの虜となった。

私は今日ラーメンを食べに行く。それも2人で。2人でラーメン屋に行くのは久しぶりだ。
今日の相手は何度も一緒にラーメンを食べに行っている村山かおりさん。私はむーさんと呼んでいるのでここでもむーさんと呼ぶ。

むーさんもかなりのラーメン通だ。
なんかこう書くとすぐ結び付けられるのが、自称ラーメン評論家やラーメンブロガー等を想像されるが、そんな専門的でもなければ他人に自慢したい訳ではない。
とにかく、ラーメンが好きなのだ。
そして、ラーメンへの思いが強い。
ただただそれだけなのだ。

私の周りにはほぼラーメンを語れる人はいない。1人で並び黙々と食べ帰る。
この美味しさを誰かと共有したい時がある。語りたい夜もある。
むーさんと出会ってからはそれが出来るのがほんとに嬉しかった。

むーさんにはむーさん独自のラーメン論がある。その持論は、

「ラーメンはさっぱり、細麺派。具材が豊富、尚且つトッピングの種類が多い方が好ましい。何故ならそれらからその店の発展、進化が見て取れるから。」

むーさんのラーメンへの情熱を感じられる一篇だ。
日本では味が変わるコトに非常に敏感だ。この味が食べたいから通う人が多いので、いくらその味が美味くなっても、味が変わると途端に通うのをやめる人も少なくない。それほどこだわりが強い人達が多い。
だがむーさんは、むしろ変わるコトを恐れず進んでいくお店の方が好きなのだ。
それはむーさんの本質にも少し似てる。

とある人気のラーメン屋に着いたのはオープン10分前。かなりの行列を覚悟したが、その日はそれほどでもなかったが、それでも30分は並ぶだろうという人数。
行列が出来るラーメン屋には大きくわけて丁寧な接客派と無愛想派がある。丁寧な接客派はここ数年の流行りだ。それまでのラーメン屋は並ばれても近隣への多少の配慮はするものの、お客への並びの対応には結構気を使わない店がほとんどだった。

そこのお店は丁寧派。列をなす客に対して丁寧に食券を確認する若い店員さん。
そこはメニューが豊富で季節限定ラーメン等もあるほどだ。そのどれもが美味しいのは言うまでもない。麺も2種類ある。細麺とてもみ麺だ。2人でてもみ麺を注文。ここのてもみ麺は腰があり細麺より小麦の風味が感じられる。やっぱり良く知ってるなと少し嬉しい。

むーさんは醤油、私は塩。
どれを選ぶか楽しみにしていたのだが、醤油な気分なのは今回はスタンダードに食べたいのかな、などと想像するのも面白い。聞くのは後でいい。
2人で行くといいコトが1つある。並んでいる間話せるので並んでいる時間も短く感じる。
だがこれは結構稀で、大概は1人で並ぶ。1人で食べる。周りにそれほどラーメン好きがいないのだ。私だけかと思ったらむーさんもそうだそうで、特に女性のラーメン好きとは滅多に知り合えないらしい。確かにラーメン屋に並んでいるのは男の方が圧倒的に多いし、女性がいてもそれはカップルの場合が多い。

予想通り30分ほどで着席。今のご時世なので席と席の間に間仕切り。カウンターのみのお店だがそのカウンターがいい木材とわかる一枚板。こだわりを感じる。
それは味に関係ないと言う人もいるが、私もむーさんもお店のそういったこだわりを感じるのも楽しいのだ。
店内は2人でオペ。流れるように動いている。行列を捌いていた若い店員さんも中に入り洗い場もこなす。ラーメン1杯を作るのに当たり前だが手間がかかる。こだわれば尚更だ。

店内を回している店長が若い店員に細かな指示を出す。入りたてなのか慣れていないからか、結構多めに指示が出る。私の席がちょうど店長前の席だったのもあってか、少し気になった。仕事なのだから厳しいのは当たり前だが、客前での指示の出し方はもう少し柔らかくても良いのではないかと。
むーさんは店員の言動で味が変わると言っていた。私もそれには同感だ。店の雰囲気で味が変わるコトは確かに経験してきた。コレも好みと言われればそうかもしれないが、個人的には大事だと思っている。むーさんもそれは感じ取っていた。

ラーメンが提供される。
まず、具材が特製を選んだのもあって豊富と言うよりも豪華の方がピンと来た。少しお高めの松花堂弁当を開けたような感動に似ている。
鳥豚のチャーシューとワンタン、煮卵に味変の刻み生姜、細切りの青ネギ。黒い粒は粒胡椒ですとのコト。
むーさんを少し横目で見ると嬉しそうだった。笑ったりしているとかではないが、そう感じた。女性の食べてる所をあまり見るのも失礼なのでこちらもラーメンに集中する。
具材、麺、スープ。どれもが美味しかった。物凄く丁寧な仕上がり。
ラーメンはやはり、麺、スープ、具材の調和が全てだと思っている。そのバランスが取れていれば、個性的、尖っていてもいいと思っている。特にここの塩のスープはかなり個性的。和食の出汁に近い。

少し集中しすぎたのか、あっという間に食べてしまった。コレはいつもの癖。ラーメンは回転が命だから早めに食べて席を空けるのが癖づいてる。 
先に出てるね、と伝えるとそれを聞こえたのだろう店主が、
「大丈夫ですよ居て頂いて。」
続いてむーさんに、
「急いで食べたら美味しくないですもんね。」
と、声をかけてくれた。厳しく指示を出していた店主からは想像出来なかった優しい笑みを添えて。
お言葉に甘え、ラーメンの余韻を楽しみながら。むーさんもゆっくり食べ終え、店を後にする。
味もそうだが、こういうやり取りがたまにあるからラーメン屋通いがやめられない。簡単に言うと意外性、驚き。

腹ごなしと感想も聞きたかったので、近くの公園でゆっくりしながらむーさんとのラーメン談義に花が咲く。
お互い久しぶりの来店だったのもあったが、2人の共通した思いは、

「前より味が落ちたね。」

だった。いや、それでもかなり美味しいのだが、以前に比べると味が変わったように感じた。もちろんお店の雰囲気にも影響されているだろうが、確実にそう感じたのは事実だ。
でもそれが物凄く悪いコトでは無い。
人が作っているからだ。ほんの少しの違いで変わるほど繊細な手順の元1杯が作られる。様々な肯定を経て1杯が作られる。
だから微妙なさじ加減1つで味が変わるコトも有って当然だし、それでいいと思ってる。いや、それも含めて楽しんでいる。
だから、味が落ちたからと言って通わない、では無い。また違う日に行ったら最高の1杯に出会える可能性のある店だからまた行くだろう。
そして、店主の心遣いには救われたとも話した。
むーさんが醤油を選んだ理由も聞いた。
初めて来た時醤油でこの前が塩だったそうだ。でもう一度醤油に戻ってみよう、で醤油を選んだが、むーさんは、
「やっぱりあの店は塩だな。」
で落ち着いた。

他にもいろいろ話したが、中でもむーさんの感想で興味深かったのは、
「あのラーメン、和食に感じた。」
店内の作りや雰囲気にもそれは感じられたし、松花堂弁当を思い出したのもスープが出汁に近いと感じたのもそれかな、とも思い改めてむーさんのラーメンへの想いが垣間見えて嬉しいと言うか、ラーメンに関してはウマが合うな、と微笑ましかった。

むーさんはラーメンを日常食にしたいと言う。
毎日食べるお米のように、毎日食べられるラーメンを作りたいと嬉々として語っていた。
確かにラーメンは脂質塩分等食べ過ぎには気をつけた方がいい食べ物になるとは思う。
毎日食べるにはなかなかハードルが高いが、毎日食べられるラーメンがあったら、私は食べるだろう。そこに美味しさがあれば尚更だ。
お金があったら、自分の指示を忠実に再現してくれる調理人を雇って毎日食べるラーメン屋を作るのが夢?と言って小首を傾げた。この仕草はむーさんらしいなって思った。
毎日食べられるラーメンがあったら最高!と言うむーさんはなんかキラキラしていた。

そんなむーさんは、今、役者として生きている。

この作品は、【虚構と事実】を織り交ぜた物語です。

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