越谷 新町八幡神社 可愛い狛犬います
越谷駅東口にある小さな神社です。
文和2年(1353)銘の板碑があることから、文和2年(1353)の創建と言われており、越ケ谷宿新町の鎮守とされていたようです。
越谷の歴史を紐解いてゆくと、越ケ谷宿という宿場町があり、日本橋から日光までをつなぐ日光街道(現在の旧日光街道)の、江戸(日本橋)から3番目の宿場町として栄えていたようです。越ケ谷宿は本町・新町・中町というエリアに分かれており、新町の鎮守様として、この神社が創建されました。
こんな感じで住宅街の中にあるんですけれど(後ろの高層マンションはグローリオ越谷ステーションタワー)、新町八幡神社は1353年の創建……と聞いて、ふと、よぎるのが越谷の災害について。
越ケ谷宿は1874(明治7)年と1899(明治32)年の大火に加え、1923(大正12)年の関東大震災でも大きな被害を受けたため、残念ながら町のほとんどが焼失してしまっている状態です。
新町八幡神社は、かつて越ケ谷宿のあった旧日光街道沿いの、少し住宅地側に入った場所にあります。たくさんの災害を経て一緒に焼失してしまっていてもおかしくないような場所。「創建」は「初めて建てる」という意味なので、創建後に焼失したり壊れてしまっても建て直してきたのかもしれませんね。668年前ですからね。修繕や建て直しがあって、無事に今もお参り出来ているのかもしれません。ありがたや。
■ご祭神 誉田別尊(応神天皇)
八幡神社は、応神天皇を主神として、比売神、応神天皇の母である神功皇后を合わせて八幡三神として祀っており、この新町八幡神社は誉田別尊のみをご祭神とした神社になります。
■ご利益
・勝利祈願
・出世開運
・武勇長久(武人として命運が長く続くように、兵がいつまでも無事であるようにという意味)
ご利益から見るに、結構勇ましい神社のようですね。
私は引っ越してきてからこの神社に事あるごとにお参りしていますが、職場や仕事関連に関してすごくすごく良くなってきているので、割と現世的な強い願いを持って行っても、しょうもない奴だなーこいつ、、と思いつつも聞き入れてくれるのかもしれません (?)。
ご祭神の応神天皇は天性の射手と称えられ、弓の名手として崇められており、全国の武士にとって武運の神様『弓矢八幡』として敬われていました。一般の人々にも鎮守の神様(土地を守る神様)として親しまれていたようです。
そもそものベースが天性の闘いの神、武勇の神なんですね。
裏から入るとこんな感じ。
横から見た図。
小さな公園があって、春はお花がたくさん咲いています。
この塀の下一面にいろんなお花が咲くんですが、冬場もちゃんと手入れされていて、ぽつぽつ緑が残っているだけとなっています。
この神社の狛犬、すごく可愛い狛犬です。
あ。阿
うん。吽
あうん(阿吽)はサンスクリット語の最初の音と最後の音に由来し、「人生や宇宙の始まりと終わり」という意味です。阿吽の一対によって、この世の全てを表現しているようです。
始まりと終わりの間(この世の全て)を粛々と通って、獣神に守られたお社にお参りする。素敵だなぁと。
元々、狛犬はエジプトやインドの発祥で、中国から日本に伝わったようですが、日本では長い間、右には獅子、左には角の生えた狛犬、という形式で置かれていたようです。でも、角があったり無かったりして、獅子なんだか狛犬なんだかよくわからなくなっている場合も多いようです。角がどっちも生えてたり、阿吽の配置も逆だったりと、日本各地に色んな一対の獣神がいるようです。
こちらの神社ではどちらにも角は生えていないようでした。
角度によっては角っぽくも見えるんですが、多分タテガミだと思います。
獣神=ライオン の、タテガミ?
なにしろどっちも愛嬌のある顔立ちで、全体のもったりしたバランスがまたすんごく可愛いです。
■阿の獣が踏んでいる鞠は、富、財産、吉祥の象徴。
鞠を転がすのは「良いことがずっと続く」という意味のようです。
■吽の獣は、子犬を、……踏んづけているのではなく撫でているとのこと🙃
子孫繁栄、子宝、を表現しています。
この子犬もすごく可愛い顔🙂🙂🙂!!
全国に多数ある八幡神社にはいろんな形式があるようで、例えば神功皇后もあわせて祀っている所であれば、安産や縁結び等にも良いようです。
ちょっと面倒ですが、お参りする時にご祭神をチラッと調べてみるといいかもですね。
またお花がたくさん咲いている頃に、お参りに来ようと思います🌸
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