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41. オーケストラという強度:「TARKUS:クラシック meets ロック」

2021東京オリンピック(実際には2022開催)において、ゲーム音楽のオーケストラバージョンが入場行進に使われたのはまだ記憶に新しいが、あのピコピコ音で聞いていたドラクエのテーマをオーケストラバージョンで初めて聞いた時の、「これだ!これが私の脳内で響いていた音楽だ!」という感想と感慨を持ったものは、我々の世代には少なくないであろう。そう、我々の脳は、まさに「脳内処理」ができるからこその脳なのであり、逆に言えば脳が発達したからこその我々人間なのである。

ということで今日紹介したいのはあのプログレッシブロックの名作『TARKUS』をオーケストラバージョンで編曲した『タルカス~クラシック meets ロック』である。

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もちろん、元となっているエマーソン・レイク&パーマーの『TARKUS』も名盤なのだが、あのYMOの音楽さえ、その後生まれた世代には「スーパーのBGM」などと言われてしまう今となっては、やはり音が薄く(軽く)感じるのもまた事実であろう。しかし、繰り返すが、我々は音をそのまま聞いているわけではない。我々人間には想像力というものがあり、その音を自分なりの理想に置き換えて聞いているのである。そして/しかし、一般的にもそうであるが理想が現実を上回ることはない。しかし、それ(現実を理想が上回ること)が行われることもある。それがこのアルバムであり、そしてそれがオーケストラというある意味古典的な人海戦術が持つ力でもある。

そう、オーケストラというものは、そうするよりも他がなかった昔と比べると、今となっては効率とコストが悪いものである。基本的にピアノなどを除いては一人一音しか出せないのだから。しかし、だからこそ、それが集積した時の凄みと深みはやはりバンドやコンピューターでは出せないものでもある。その意味では音楽の究極の形、違う言い方をすれば、音楽の最終形態と言ってもよいあろう。そして/しかしその最終形態は既にクラシックと言える時代に完成してしまっていたのである。我々はおそらく今後もこれを超える音の厚みを作り出すことはできない。オーケストラはクラシックであると同時に現代音楽をも演奏できる究極の音楽、音響装置なのである。

事実、このアルバムは前半部分の「TARKUS」こそは「クラシック meets ロック」であるが、続く「黛敏郎」の曲は現代音楽的であり、その後の「Dvorak:America」は極めてクラシック的である。そして最後の「原子心母組曲」で再び「クラシック meets ロック」的なものに戻る構成となっている。というかベートーベンを引き合いに出すまでもなく、壮大なオーケストラ音楽というものはそもそもが「ロック」なのである。激しさとエモさ、あるいは、切なさとそれ故の「泣き」がロックあるとすれば、それは即ち交響曲である。このアルバムは、その事実を改めて確認させてくれるアルバムであり、だからこそ多くの人にお勧めできるアルバムである。

なお、このアルバムと編曲者であるの吉松隆氏の存在を知ったのは、このNoteでも何度か言及している「Dommune」の「爆音クラシック」という番組を通してであった。このようなハイレベルな番組を配信し続けている「Dommune」には改めて感謝と敬意を表したい。



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