見出し画像

SF名作を読もう!(16) 『ゲームの王国』

今回取り上げる作品はこちら。新鋭、小川哲の今のところの代表作『ゲームの王国』です。

https://amzn.to/48w3wJ4

前回取り上げた伊藤計劃も、この小川哲も、この世代のSF作家たちは村上龍から大きな影響を受けていることは間違いないだろう。村上龍自身はいわゆるSF作家ではないが、「文学」の世界からデビューし、その後、『コインロッカーベイビーズ』『愛と幻想のファシズム』『5分後の世界』『ヒュウガウイルス』とSF的発想を取り入れたある意味「過激な」小説を次々と発表してきた。筆者自身もそれに大きな影響を受けた一人で、最近、その手の小説を村上龍が書かなくなったことに一抹の寂しさを感じていた。しかし、その遺伝子はSFの世界で見事に花開いている。

さてゲームの世界、上下巻と長いが、このあたりも『愛と幻想のファシズム』に通じていて良い。上巻だけでは、「面白いけど、これってSFなの」と思ってしまうが、下巻に来て、前半でまいていた種がSFとして回収される。まさにタイトルにある「ゲーム」に集約されていく形ですべてが一気に動いていく。

さて、この小説、カンボジアを舞台としているという点も新鮮であり、また異様である。このマガジンで取り上げてきた過去の多くのSF小説の巨匠たちは宇宙であり、時間でありといった大きなテーマを取り上げてきた。それに比べ近年の、特に日本のSFはもう、そのような大きなテーマを取り上げることは少ない。おそらくこれは本マガジンでも取り上げた『ニューロマンサー』に代表されるサイバーパンク以降の傾向であろう。今や化学は外ではなく内側に、人間の内側に向かっている。脳科学しかり、ナノテクしかり、である。そしてそうなると必然的に向かう先は宇宙のかなたや時間のかなたではなく、人間自身となる。かつて、人間を描くのはいわゆる「文学」のしごとであった。それが今やSF側の仕事となっているのである。そして当然それはSF小説というものといわゆる「文学」というものの垣根をなくしていく。本人が意識していたかどうかはわからないが、村上龍は文学の側からSFに接近した。そして今の若手SF作家はSFの側から文学に接近している。『ハーモニー』も文学であったし、この『ゲームの王国』もまさしく文学である。文学であるというのは、そこで描かれているのが「人間」であり、人間の「実存」であるという意味においてである。

とにかく、この小川哲、次の長編が楽しみである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?