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SF名作を読もう!(17) 『スノウ・クラッシュ』

さて、今回ご紹介するのは、待望の復刊となったニール・スティーブンスンの痛快策『スノウ・クラッシュ』です。

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今をときめく流行語であるメタバース(作中では「メタヴァース」と表記)という言葉が初めて使われたのが本作で、それ故の復刊ではあるのだが、まあ、とにかく娯楽大作として痛快である。

それもそのはず、筆者自身の「謝辞」によれば、この作品、元々はグラフィックノベル、つまりはマンガとして出版されることが予定されていたとのことである。なるほど、主役のヒロが刀の使い手であったり、Y・Tがスケートボーダー(正確にはもっとハイテクなスケボーだが)であったり、悪漢(悪役ではなくあくまで悪漢)であるレイヴンが巨体でハーレーを乗り回したりするのはそのような「絵力」を意識したものなのだろうな、と分かる。確かにこの作品のブラフィックノベル版も見たいものである。しかし、この作品が出版された1992年には既に大友克洋氏の『AKIRA』が出ていたので、小説にしたのはある意味正解だったかもしれない。

もう一つ、小説にしたからこそ良かったのがメタバース世界を「絵」という形で具体的に示さなかったという点であろう。この作品が、その後に現れる多くのIT起業家たちのバイブルになったのも、そこに理由がある。なぜなら、そこで描かれたメタバースというものを読む人たちが自分たちなりにイメージし、自分たちなりのメタバースを構築しようとしたからである。小説は想像力の結晶であるとよく言われるが、SF小説についてはそれはなおさらである。そしてその想像力は作者だけにではなく読者にも求められる。逆に言えば想像力を与える余地が残されていればいるほどいいSF小説であると言える。しかし、同時にその想像力が働くのは具体的な、リアルな描写はリアルな描写で徹底しているからである。この作品はその両立を果たし得ている。

さて、メタバース、メタバースと言われる昨今だが、しかし、そのメタバースは現実の世界のコピー化に終わっていないだろうか。もっと自由でいいはずである。もっとなんでもいいはずである。そしてそのようなメタバースのイメージの原型は、この小説で描かれている。あとはそれを我々がどう捉えるかである。

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