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SF名作を読もう!(3) 『闇の左手』

SF小説の定義とはなんだろうか。仮に科学に基づく小説と定義してみよう。すると次に来るのは、では科学とは何か、という問いになる。

人類学は科学か? 人類学、あるいは文化人類学という学問分野が定着した現在では、この問いに対する答えは「Yes」となるであろう。そしてこのアーシュラ・K・ル・グィンによる名作『闇の左手』は人類学の手法を取り入れた小説である。そしてその意味でこれは紛れもないSF小説である。

もちろんSFであり、小説であるので、それは現実のものではない。あくまで作者による作品(フィクション)である。しかし、それが人類学的なレポートの手法を取り入れているが故に、それは「リアル」である。SFに限らず、全ての小説はいかに想像上の出来事を「リアル」に描くかが重視される。学問的な知識を科学ではなく、人類学におくル・グィンにとっては、それがもっともリアルではないものをリアルに描く手法であったのであろう。この小説は、ある意味、違う文化世界に入った男によるレポートである。

そして、今「男」と書いたが、これが本作のもう一つのキーワードである。この男が訪れた惑星に住む人々には(それが人類と呼べる存在であることは間違いない)、「性別」という概念がない。いわゆる両性具有であり、定期的な周期で訪れるいわゆる発情期により、精子を提供する側にもなり、卵子で受精し、出産する側にもなる。そのような世界にある意味「使節」として訪れた主人公が、この惑星での清掃に巻き込まれ、、、、というのが基本的なストーリであるが、この小説の楽しみはストーリーを追うことはもちろん、我々にとっては圧倒的な異文化である、この惑星について知っていく、学んでいく点にもある。

しかし、もちろんこの小説は小説であり、学問書ではない。そしてそれがこの小説が「名作」とされる所以でもあろう。いわゆるSF、科学ものをイメージする人にとっては、これはSFというジャンルを超えた小説であり、文学である。そしてこの小説のテーマは一言で言ってしまえば異文化間の友情であり愛である。異文化に対し、我々が持つ感情は初めはネガティブなものである。しかし、それに馴染むにつれ、そのネガティブな感情はだんだんと減っていき、むしろ愛着のようなものが湧いてくる。そして最終的にはもともと自分が所属していた文化の方に対して違和感を抱くようになる。

この時、人は次の次元、次のステージに立ったと言えるであろう。それは言い換えれば「成長」である。この物語は成長の物語である。そしてこの物語を読むことによっても人は成長できる。


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