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アマゾンプライムお薦めビデオ③ 126 :あちら側の世界に行き切らないからこそ垣間見えるあちら側の世界。デビット・リンチ監督の名作『ブルーベルベット』

さて、今回紹介する映画はこちら。今更感はありますが、アマゾンプライムビデオに会員向けにアップされていたので、久しぶりに見直してみました。鬼才、デビット・リンチ監督の名作『ブルーベルベット』です。

デビット・リンチといえば多くの人が『ツイン・ピークス』を思い浮かべるでしょう。『ツイン・ピークス』以降の作品では、あちら側の世界というか、この世ではない世界の存在が前面に、というかある意味あるのが当たり前という形でごく自然に出てきます。それはそれで非常に魅力的というか魅惑的なのですが、あちら側の世界は目には見えないからこそ、魅力的で魅惑的で悪魔的なのです。何かがおかしい。何かが狂っている。何かがずれている。そしてそこではなにか邪悪なことがおこなわれているらしい。その「ずれ」というか「違和感」こそが我々にあちら側の世界を想起させますし、あちら側の世界から言えば、それを入口として、私たちをあちら側の世界に引きずり込むのです。そしてこの映画はその「違和感」と「邪悪な感じ」に満ち溢れています。映像としては非常に美しいにも関わらず(というか映像として非常に美しいが故に)です。

映画の舞台となるのは50年代(恐らく)のアメリカの田舎町。美しい自然や街並みや善良な人々が描かれた後、芝生(これも古き良きアメリカの象徴!)に水をやっていた主人公の父親がなんともいえない不気味な音を耳にし突然倒れるところから映画が始まります。始まりからして不穏極まりないです。その後、病院に父を見舞った帰りに主人公が道端に落ちている耳を拾う(というかこの耳が落ちているという発想自体が凄い!)ところから、ストーリーが動き始めるのですが、まあ、ストーリーについてはここまでにしておきますが、ここまででもう、見る人の心を一気に持って行きます。なんなのこの世界は!という思いです。そしてそれは決して突飛な世界ではないのです。50年代と一昔前ではありますが、その町自体はごく平凡な普通の街なのです。しかし、何かがおかしい、何かがずれている、しかも悪い方向にずれている、この世界の裏には(という過去の世界自体には)、もう一つ何か別のよりグロテスクな世界がある。映画の冒頭だけで、それを見ている人に強く印象付けます。

そしてその「悪」を体現している人物が、ご存じ名優デニス・ホッパーです。この人、まあ、悪い人なのですが、同時に情緒不安定なおかしな人でもあります(もちろん役の上で)。表面的にこの映画を見れば、この「悪人」による犯罪もの、あるいは青年役を演じたカイル・マクラクランによる冒険ものと見ることもできるでしょう。一応ストーリー的にはそうなっています。しかし、その映像やそこに出てくる登場人物の普通じゃなさ、そして音と音楽で、そのストーリー以上のものを伝えることにこの作品は見事に成功しています。映画の魅力は決してストーリーだけではないということはこのマガジンですでに何度も言っていますが、その意味で、まさにこの映画は最高の良い例となっているでしょう。そしてその「良さ」については、いろいろと分析してみることは可能でしょう。しかし、映画というものは分析し解釈するものではないこともまた事実です。これは自戒の念を込めてですが、批評家ぶらず、訳の分からなさを素直に楽しむことこそが映画の正しい味方なのです。もちろん「なにこれ?」で終わる人もいるでしょう。でも、それでいいのです。少なくともそれは「なにこれ?」という違和感、たとえそれが不快感であっても、違和感を与えることには成功したのですから。そしてその違和感は違和感として消化されることなくいつまでも残り続けるのです。

今となっては当たり前のことですが、それまで舞台でしか見ることのできなかったものを2次元のスクリーンという形で見ることができるようになった時点で、つまりは映画というものが生まれた時点で、それは我々にとっては「違和感」だったといえます。さらに遡れば写真がそうでしょう。昔の人は写真を撮ると魂が取られると思っていたようですが、写真とは今そこにはないものを提示するという意味で、一種の幽霊装置です。いわゆる心霊写真が今でもことあるごとに取り上げられるのには、そういう背景もあります。そして昔は日本では「活動写真」と言われた映画もそうです。映画自体が一種の幽霊装置で、よってそれは必然的に「あちら側の世界」と相性がいいのです。むしろほおっておくと、そもそも「公開」を目的としていない監視カメラの映像が心霊映画においてよくつかわれるように、必然的にそちら側に近づいてしまうのです。そうさせないために、いわゆる「リアリズム」の映画演出技法が確立してきたのでしょうが、デビット・リンチはこの作品において、そのリアリズムの手法を使いながらも、映画の原点というか本質に迫ったと言えます。そう、映画であることを突き詰めると、それは必然的に「不気味」なものとなるのです。

ということで、こちらの映画、是非お薦めです。これを見てからその後のデビット・リンチ作品を見るとより良いと思います。


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