20. テクノがポップになった日:クラフトワークの『アウトバーン』
さて、今回も予告通り、これまでの流れを踏まえた上での、1974年のクラフトワークの『アウトバーン』です。テクノという現代音楽、あるいはある意味前衛方向に走りがちなジャンルを見事にポップの道へと連れていってくれました。その意味でもこの『アウトバーン』はテクノというジャンルにとっても一つの大きな高速道路だったと言えるでしょう。
さて、アルバムのタイトルにもなっている「アウトバーン」はある意味のどかな曲です。高速道路を疾走するというよりは郊外にピクニックに行くという感覚に近いです。そう、つまり、ここでは運転する人間にではなく、滑るように走る車側に視点が当てられているのです。そしてそれはまさにテクノの特徴です。それまでの人間臭いロック、汗臭いロックから、機械による自動演奏、その意味で徹底したクールな音楽と舵がきられたのです。人間から機械へという主役の交代です。いきなりの冒頭のボコーダーでの「アウトバーン」というセリフ?で、もう、掴んだと言っていいでしょう。これは声(ボーカル)なのか、それとも音なのか、当時の人はそう思ったことでしょう。
1974年当時でクラフトワーク自身が「テクノポップ」という言葉を使っていたかは定かではありませんが(おそらく使ってはいなかったでしょう)、しかし、アンビエント方向に行こうと思えば行けたのに(というかその方が時代の流れとしては自然だし、アルバムの2曲目、4曲目などは明らかにそっち方面でしょう。そして個人的はそっち方面の方が好きだったりはします)敢えて、「軽快さ」「耳障りの良さ」「心地よさ」にこだわっているところがこの「クラフトワーク」の資質であり、『アウトバーン』の特徴と言えるでしょう。機械的でありながらもどこか軽妙。この特徴こそが「テクノポップ」と呼ばれるジャンルを築いたと言っていいでしょう。なお「ポップ」という言葉を今回は何度も使っていますが、ここでの「ポップ」はいわゆる「ポップス」としての「ポップ」というよりも「軽快さ」「耳障りの良さ」「心地よさ」としての「ポップ」です。その意味で後のYMOなどの「テクノポップ」とはまた一味違います。言ってみれば(これは「アンビエント」にも言えることなのですが)「自然」や「風景」などが持つ心地よさを機械を使って再現することを試みた、というような言い方もできるでしょう。そして逆説的ではありますが、その試み、機械による自然の再現という試みが明らかにするのは、我々が「自然」と言っているものでも、結局はそれは視聴覚神経や脳によって再現されたものに過ぎないということです。先に「車側に視点が当てられている」「人間から機械へという主役の交代」と言ったのはそういうことです。ここでは、人間の目からではなく、機械の目から改めて自然が捉えられているのです。そしてそれは機械的でありながら且つポップな(軽妙な)世界です。
なお、このNoteでは何度も言っていますが、ポップであること、軽快であることは決して「軽い」ということではありません。むしろ重いとも言えるでしょう。なぜなら「ポップ」こそがすべてのジャンルの王、すなわち「王道」中の「王道」だからです。ある意味ではキワモノになる方が楽ですし、その方が自分の立ち位置というものを確立できます。そうしようと思えばできるのにあえてそうしないということは、つまりはより厳しい道、より険しい道に自ら進んでいく、ということです。そしてクラフトワークはその道で成功しました。確かに今聞けば古い感じがするのは否めないですし、音質的に軽い感じがするのも否めないです。しかし、それはあくまでテクノロジーレベルでの問題です。クラフトワークは決してテクノロジーをクラフトしたのではありません。テクノロジーは道具に過ぎず、その時点で使い得た最高の道具を使ったまでです(そしてその道具は時代の経過とともに古いものとなります)。クラフトワークはクラフトしたのは「テクノポップ」というジャンル自体です。そして、それは先に述べたように主役の転換です。人間中心主義からの転換です。ここで一つの大きな転換が行われたことは間違いないでしょう。そして今、我々はまさにその彼らが引いた道の上を進んでいるのです。
ということで歴史的1枚という意味でお薦めです!是非お聴きください!
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