アマゾンプライムお薦めビデオ③ 115 :「リアルかフィクションかはどっちでもいい」。映画『さかなのこ』
「男か女かはどっちでもいい」これがこの映画の最初に出てくるクレジットであり、事実、この映画では女優の「のん」が男性である「さかなくん」を演じている。そう、それをもじって言えば、映画は「リアル(ノンフィクション)かフィクションかなんてどっちでもいい」、そう、これはそういう映画なのであり、その意味で新しい映画なのである。
この映画、一応モデルはあの「ぎょぎょぎょ」のさかなくん(男性)であり、演じているのはのんこと能年玲奈、あるいは能年玲奈ことのん(女性)である。しかし、この映画を見た人は誰もそんなことは気にしないであろう。まさにのんがさかなくんであり、さかなくんがのんなのであるのだから。
まあ、この二人、あの名作朝ドラ『あまちゃん』以来の盟友であり、この映画自体ものんが海に飛び込むシーンなど『あまちゃん』を意識していないことはないだろう。しかし、この映画にはこの映画ならではの魅力がある。それはもはやのん自身が自分自身と年齢も近い等身大の自分を演じているのではなく、年齢も性別も超えた役を演じている、しかもそれを完璧にこなしているという驚くべき事実にある。そしてそれはまさに「驚くべき」ことなのである。もはやのんは立派な大人の女性であり、そのような役も演じようと思えばできてしまう役者である。それが高校生の男子を演じてしまって、しかも何の違和感もないのだから、これは驚き以外の何物でもない。
のんにせよ、さかなくんにせよ、その魅力はその「ピュアさ」にあると言えよう。で、あれば「ピュア」とは何なのか。それは決して見た目ではなく、心のありようであると言えよう。そしてこの映画はその心のありようを見事に映像化している。のんが見た目が若いのは、まあ認めよう。しかし、この映画にいわゆる「変なおじさん」的な立ち位置ででてくるさかなくん自体も、決しておじさんではなく若々しいのである。それはなぜか。夢を持っている人はいつまでも若々しい。確かにそうであろう。事実、この映画に出てくる人は皆若い。母親役の我らがミューズ井川遥も、後半老けメークこそしているがそれでも若々しさは隠しきれない。父親役の三宅弘城も、あの「グループ魂」のメンバーであるだけあっていつまでも若々しい。そして、高校生役をやっている柳楽優弥をはじめとした面々ももはや高校生役は無理な年齢でもあるにもかかわらず、まったく違和感がなく若々しい。そう、つまりはこの映画自体が若々しくピュアな映画なのである。
監督の沖田修一氏は2009年の『南極料理人』が出世作であるように、どちらかというとコメディよりのドラマ作りで名を挙げた人である。そして2013年の『横道世之介』ではよりドラマ色を強めた作品を作り上げた。そしてそれから約10年を経ての本作で、また新たな新境地を作り上げたと言えよう。シリアスなドラマでもなく、お笑い要素の強いコメディでもなく、さらに言えばリアルでもなく、かといって「これはフィクションとして観てください」という作品でもない。まさに「〇〇か××なんてどっちでもいい」という作品である。そしてそれでも人を感動させ、泣かせ、笑わせる作品である。そしてさらに言えばそれこそが映画なのである。映画において人が見る、見たいのは決してリアルではない。我々はリアルな社会からある意味逃れるために映画を見るのである。しかし、かといってそれがあまりにもフィクション(=作り話)的であれば、我々はシラケる。と考えると、リアルか、フィクショナルかという2択の話となりがちだが、実はどっちでもないし、どっちでもあるし、どっちでもいいのである。我々現代人は、もはや映画を映画として、つまりはフィクションとして見る術を手に入れている。しかしフィクションとして成立するには、成立させるにはそこには何かしらの「リアリティ」がいる。その「リアリティ」を手に入れるために監督も俳優も努力してきたわけだが、もはやそんなことすら「どっちでもいい」のである。我々は映画というものをリアルでもあればフィクショナルなものであるというものとして見ることができるレベルにまで、既に達しているのである。しかし、それに気づいている人はまだ少ない。この映画はその事実を見事に暴いたものであるとも言えよう。我々はこの映画をみて、それがフィクションであることなんかは十分に分かった上で、しかし、それでも泣けるし、笑えるのである。そしてさらに言えばさかなくんという人物やのんという人物自体も、実在のリアルな人物かテレビや映画向けにキャラクタライズされた人物か(つまりは芸能人という存在かどうか)などはもはやどうでもいい、どっちでもいいのである。というか、さかなくんにせよ、のんにせよ、そのような区別や区分をもはや超越した存在なのである。そしてこの映画はそのような区別や区分を超越した人物を、区別や区分を超越した役者たちが演じている映画なのである。
ということで、この映画、超お薦めです。この映画を見て、映画の概念が覆されることはないでしょう。だからこそ凄い映画なのです。映画とはそのそもそもが「〇〇か××なんてどっちでもいい」ものであり、それを楽しむものなのです。
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