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『複存論:メタバース時代の存在論(2022-2023)』

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主に2022年から2023年3月頃までに書いたSF、アニメ、アバター(Vチューバー)、VR、メタバースについての論考をまとめました。古くなってきた部分もあるのでいずれ改めて書き直…
全5部、75本の記事のそれなりの大作ですが、お値段はすべてセットで500円とお得になっています。
¥500
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#リアリズム

はじめに

本稿は、これまでnote上で検討してきた論考を、改めて『複人論:メタバース時代の存在論』とい…

第2部 アニメ論:「アニメ・まんが的リアリズム」からサルトル的実存へ(10)

アニメにおける実存とは?

第2部 アニメ論:「アニメ・まんが的リアリズム」からサルトル的実存へ(11)

ファンタジー的リアリズムの基盤としてのパタフィジックとそこに出現する「強度」―サルトルの…

第2部 アニメ論:「アニメ・まんが的リアリズム」からサルトル的実存へ(15)

「裂けめ」として、「対自存在」としての「パタフィジック」

第3部 Vtuber/Vライバー論:キズナアイという「存在」(1)

1.ここまでのまとめと第3章の目的 以上、第1部ではSF小説の魅力のメカニズムについて考察し…

第3部 Vtuber/Vライバー論:キズナアイという「存在」(2)

2.キズナアイという「存在」 Vtuberを語るにあたり、やはりキズナアイ(本人はVtuberという…

第3部 Vtuber/Vライバー論:キズナアイという「存在」(7)

「分人」という考え方(2) 「人は対人関係に合わせて様々な顔を持つ。そしてそのそれぞれすべてがその人である。」 「分人」という考え方を一言で表すとそうなるであろう。そしてそれは事実であり、我々は基本的にそれをある種の当然のこととして日々の生活を送っている。 そしてこのことを逆の方向から言えば、「人(個人)というのは分人の集合体である」ということになる。そしてそれが人=パーソンと、「キャラ」との違いでもある。人=パーソンにはさまざまな側面(顔=キャラ)がある。しかし「キャラ