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小沢健二にムカついた頃がある

私の地元に小沢健二と今の奥さんエリザベス・コールが来て「おばさんたちが案内する未来の世界」という題名で上映会をやった事がある。二人がラテン・アメリカを旅した映像に小沢健二がギターを弾きながら朗読するというものだった。

内容はうろ覚えだが、ラテン・アメリカの国、主にベネズエラやボリビアなど、アメリカの資本主義、経済優先主導の政治家、多国籍企業が入ってきて、それに対して違和感を覚え、違った道を歩こうとするラテン・アメリカの人々を描いている。

具体的には、ボリビアの鉱山で働く人が鉱山の洞窟とは非常に危険な為、不安をかき消す為、コカの葉を口に含む描写や、西洋医学で治せなかった難病が薬草で治ったシーンだとか、反米に立ち上がる民衆だとか。

つまり、端的に言うと反グローバリゼーションである。

この上映会は私の住んでるところは地方都市だったのだが、そこでもやっていて、他にも地方都市よりもっと田舎の土地でも2、3回はやっていた。この事から考えると、この上映会のターゲットは小沢健二のファン向けでは無かったと思う。公民館みたいなとこでやっていた為、田舎の方では小沢健二なんか知らないおばあちゃんとかも来ていただろう。

この上映会が終わった後、小沢健二と観客で話し合う時間が設けられているのだが、「どこの駅前にもスターバックスがあって、マクドナルドがあって、これは怖い事だ」みたいな話しをしてたと思う。

私は当時、というか、たぶん今でも地元が嫌いである。文化レベルが低く、話しても面白くない人達、娯楽や文化は無く、特に守りたい郷土愛みたいなモノは皆無に等しい。

小沢健二という人は東京の象徴みたいなイメージの人である。文化的でシャレていて知的で。そういう生活に憧れていた私は、例えスターバックスがチェーン店であったとしても、少しでも洗練された雰囲気に触れるので地元に出来たら嬉しかった。

その東京の象徴みたいな存在の小沢健二が、これは日本中で起こってる事だと思うのですが、地方色みたいなのは薄れ、どこもミニ東京化している事に対して警鐘の啓蒙をしているのです。

その事がとてもショックで、家に帰ってフリッパーズギターをぼーとしながら聴いた。

それからほどなく、郊外にイオンが出来て、私の住んでた地方都市の繁華街的な場所は寂れて、小沢健二の言ってた通りになった。

それから、私は上京する。

現在、小田急沿線沿いに住んでいる。

気になったのは下北沢駅の再開発である。

下北沢といえば、ライブハウス、演劇、個性的な古着屋や個人商店が立ち並ぶサブカルチャーの街である。

再開発前の下北沢駅

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この頃の下北沢を思い出すと風情がありワクワクして階段を降りたのを思い出す。

駅前にはいつも決まってヘンな人がいた。路上販売をしていたり、占いをしていたり。

再開発後の下北沢駅には、チェーン店が駅に入って、駅前にはユニクロと無印良品があり綺麗になった。あのヘンな人達はいなくなった。

東京に来れば分かると思うのだけど、今の東京の駅前はどこもこんな感じである。

とはいっても、下北沢駅前以外はまだまだ個性的な古着屋、個人商店やライブハウス、劇場などは健在で気を吐いてる。

が、これさえも漂白されていくのではないか?という危機感を今感じている。

今はあの時、小沢健二が持っていた危機感がとても分かる。東京を東京たらしめているのは下北沢ような街があるからだ。

ここ最近の小沢健二のツイートにムカつく人を見ると、昔、啓蒙する小沢健二にムカついた自分を思い出す。

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