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旅の効用

「旅」なることをするのが好きだが、それは一体なぜなのだろうか。

一つの理由としては、旅をする中で、大きな世界の中で自分の存在の小ささを感じ、だからこそ自分の存在価値を感じるという一見矛盾した感情になるというのがある。旅に出ると、ああ、これをやろうと気持ちを新たにすることが出来るのだ。しかしなぜそう感じるのだろうか。

一般に流布している旅のイメージは、なんだか私にはしっくりこず、インターネット上で見る旅や、人から聞く旅話にはそこまで興味を惹かれないし、だからこそ、旅について自分が話すことや、旅が好きだと公言することが憚られる。なぜなら、みんなが言う旅がなんだかよくわからないし、そのイメージで捉えられるのが嫌だからだ。

私にとっての旅とは、「いつもと違う日常を生きること」である。様々な国を訪れ、その文化の中での生活に身を浸し、そのまちのシステムの中に組み込まれようとする。金銭を介し、会話を介して徐々に自分の色を調整していく。

訪れるまちの風景の中に自分を浸らせしめ、そのまちの一部としてあろうとする。それは、この国が発展するようにお金を使おうとする姿勢でもなく、その国やまちに生きる人々の在り方を「使って」、SNSで自分の存在証明をする姿勢でもない。

異質物である自分が、そのまちのシステムの中の一つの歯車であろうとし、まちの流れに身を任せ、その場で生活を送る人々に受け入れてもらう。その体験の中で、私は流動的でありかつ絶対的な自分の姿を実感する。
そして、そんな中でこそ、私は私の存在を確かめることができる。その瞬間において、確かにこのまちは、私を歯車の一部として回るのだ。

旅をする中で大きなシステムの存在を感じ、その一部となることに喜びを感じる。この体験を通してこそ、自分がやるべきことのイメージが浮かび上がってくる。一つの場所に長くいると、この大きなシステムの存在をいつの間にか忘れて、自分の存在価値がわからなくなる。だから、私は私のいつもの日常をまっとうに送るためにも、旅が必要なのである。

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