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ナルシスト

そういえば、ナルシストという言葉は今も使われるものなのだろうか。

中高生の時に毎日のように聞いていたこの言葉、ナルシなどと略され、基本揶揄の言葉として使われていたように思う。

そんな中を、「優等生」なる私はナルシと言われないように、指をさされないように細心の注意を払って生き抜いてきた。

今でも、鏡を見るたびに、ナルシストという言葉が頭をよぎる。

さて、しかし今になって冷静に振り返ってみると、鏡で身だしなみを整え、かっこいい自分を保つことの何がそんなにいけないのだろう。自分に自信を持っているというのは何よりのことではないか。

鏡を見るというのは、自分の存在をしかと確認することでもある。ともすれば拡散してしまう自己をつなぎとめる手段として鏡を見ていたとするならば、それはとても自然な行為のように感じる。

そう考えると、優等生なる私はナルシストという言葉によって自己を顧みることを忘れさせられた被害者であり、同時にナルシストという言葉の共犯者として自己を殺してきた加害者でもある。といえるかもしれない。

自分で考えることを放棄し、言葉を無批判に迎え入れていた優等生なる私は、その毒を自己の中に吸収し、少しずつ自分を麻痺させ殺していったのである。

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