高円寺「おいで」。ぼく「うん」。
諸々理由があって去年の12月から今年の2月まで、高円寺に部屋を借りて住んでいた。
吉祥寺に家、高円寺に部屋。カネをかけた道楽でもリモートワーク用の別宅でもない、ただ、死ぬまでに高円寺か下北沢で暮らしてみたいという願望が心の奥底にこびりついていた、走って転んで擦りむいてできた傷のかさぶたように。
今しかないかな、とかぼちぼちいいかな、とかやっとかないと後悔するな、とか、雑にでっち上げた理由でもって、高円寺南口の不動産屋を尋ねた。
3度の週末をつかって部屋を探して、7軒くらいのマンションやらアパートを内見して決めた。必要なものはAmazonで安く揃えた。
それから一年とちょっと。別宅暮らしを始める前に想像していたみたいに、町を歩き回って古着屋を漁って歩くようなこともせず、ただ、部屋にいた。ただ、セブンイレブンで買い物してダイソーの中をウロウロして昭和なまんまの中華屋でラーメンを食べて、北口広場か高架下の京樽の前で路上ミュージシャンの歌を聴いたりしていた。
それだけでよかった。
ほんとそれだけでよかったんだ。
「それだけでいいよ、だけじゃなくてもいいよ、いつでもいつまでもいていいよ、いやになったらどこかへいってもいいよ」。
そんな風に耳元で囁いてくれる町は他にはなかったから。
吉祥寺はとっくに観光地になって下北沢のあの転げ落ちそうになる南口の階段が消えてやたら立派な駅舎になっても、高円寺は高円寺だった。
「あんたは馬鹿で怖がりでいつも不安に囚われてるロクな人間じゃない、ないけど、それでいいよ」
きっと誰かにそう言われたかった。
許して欲しかった。手を繋いで欲しかった。
でも誰もいないから町に抱きしめてもらった。
高円寺が耳元でささやく。
「そのままでいいよ」
今いる場所から去らなくてはいけないようなこと(大抵の場合最悪なことだ)がまたこの先起きたら、何もかも捨ててあの町に行こう。
そしてまた、セブンイレブンで買い物してダイソーの中をウロウロして昭和なまんまの中華屋でラーメンを食べて、北口広場か高架下の京樽の前で路上ミュージシャンの歌を聴いたりしよう。
「おかえり。大変だったね」
きっとそう言ってくれる。高円寺は。
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