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裸で死んでいくのだけは嫌だ。

 ちょっと病的な服ヲタだ。「服バカ」とも自虐を込めて言ったりもする。

 多くの服バカがその欲求の根源とし、物欲の正当化のために名を挙げるように、コアにあるのはCOMME des GARÇONSだ。ブランド立ち上げから半世紀、纏うとは何か、ファッションとは何か、それは哲学であり美学であると、世代がどんどん変わっていってもなお、COMME des GARÇONSはCOMME des GARÇONSであり続ける。
 たった1人の女性が作り上げた、纏うことへの問いかけは未だ持って答えを見ない。ただ、そう、ただとにかくカッコよく美しく深淵。

 COMME des GARÇONSを毎シーズンチェックしながら、ドメスティックの新進気鋭のブランド、まだ東京で手にすることのできない服を、あらゆる手段を尽くして探し出し、どうしたらその一着に袖を通せるものかと考える。

 僕の時間はそんなことに費やされている。お金も。まさにバカだとは思う。ただ、ハンガーに掛かってるツラがよくても着てみるとそうでもないこと、その逆のこともあったりして、後者の場合はひとり快哉を叫ぶ。

 インポートに手を出さないのはそんな理由かもしれない。日本人の体型に合わせて日本で紡がれ織られ形をなしていく服が好きだ。自分の身体を入れてようやく完成する表現。

 だから死ぬ時には何を着ていたいか、と考える。自分がその生をまあそれなりに全うしたときに僕は何を着ているのだろう。

 血で染まるシャツ、生地が裂けたジャケット、あらだのパーツがもげてしまっても服は僕の身体を包み込むことをやめない。

 最期の一着。
もしかしたらそんな服を探しているのかもしれないね。無意識に。
 
 そんなこんなで今日も日本中からヤマトやら佐川やらが服を届けてくれる。箱を開けて身に纏うときに考える。もし君が最期の一着になることがあれば、よろしく。できるだけその美しいディテールとパターンを崩さない終わり方をするよ。

 いつか。いつかね。

#ファッション #COMME  des GARÇONS   #コムデギャルソン #服ヲタ #セレクトショップ #ハンドリングするブランドで自己を表現する個店の店主様に敬意を表して

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