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背に焦がす

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背に焦がす エピローグ 5 (了)

島崎は再び路面電車に揺られていた。 ポツリポツリと光る家々の灯りが、窓の外で糸を引く。車内の客は自分ひとりだ。 「俺は、何しにここへ来たんだろう」 帰り道になっても未だ判然としない、己れの取った行動の意味を考える。 俺は……俺はミハルの「痕跡」を追って来たつもりでいた。 だが、自分をここへ連れてきたのは千夏なのではないか。 あのセブンイレブンのおっさん、キタジマが、ミハルの住む下北沢に呼び寄せられたように。 千夏ちゃん。千夏ちゃんよ。 あんたは、そうやって俺たちを動かして

背に焦がす エピローグ  4

「千夏に、会ってあげてください」  初めて見る千夏の顔は、ミハルに似ていた。大学の入学式だろうか。紺色のジャケットに、白のブラウス。背景には満開の桜。写真の中で、千夏は笑っていた。 はじめまして。千夏ちゃん。 島崎は線香に火を付け、手を合わせる。 「千夏は……頑張っていたんです」  背後に座る母親が呟く。 「でも、頑張りすぎちゃったみたい」  声を背中で受けながら、島崎は逡巡する。なんて答えればいいのだろう。 〈いい娘でした〉 〈お姉さん思いで〉 浮かぶ言葉はあまりにも空

背に焦がす エピローグ 3

路面電車に乗ると、ポケットからスマホを取り出した。そして住所を、あの日、記憶して、ずっと頭の片隅に置いてあった住所をグーグルマップの検索窓に打ち込む。  車内は空いていて、そこはかとなく週末の柔らかい空気が漂う。こんなのどかなチンチン電車でも、平日は通勤通学客で混雑するのだろうか。島崎はそんなことを漫然と考えていた。 ふと窓の外を見遣ると、満開の桜が目に入っては後ろに流れていく。  桜か。  今頃、ミハルやセイジたちは、あの緑道で花見をしていることだろう。その誘いを断っ

背に焦がす エピローグ2

「こういうのはちゃんとしないとな」  セイジがミハルと付き合い出した年の大晦日のことだった。島崎は、立川のセイジのマンションにいた。  納め切れなかった仕事を互いに抱えていたこともあり、 「一緒に頑張って終わらせて、飲みながら年越ししようぜ」  などというセイジの誘いにうっかり乗ってしまった。要は、彼女が実家に帰ってしまい、手持ち無沙汰になった男につき合わされた、ということだ。  セイジの部屋にはコタツがあった。 「今どき珍しいな」  と言うと、 「冬になる前に、毎年実家

背に焦がす エピローグ 1

『こだま』に乗るのなんて何年ぶりだろう。  仕事で地方取材に出向くときは、迷うことなく『のぞみ』に揺られる。自分だけでなく、ライター、カメラマンも同行するから、東京駅で待ち合わせた瞬間から仕事モードだ。旅情もへったくれもあったものじゃない。  そう考えると、ひとり旅なんて学生の頃以来だな。 各駅停車の新幹線は、いくつかの駅に律儀に止まっては走りを繰り返した。 くすんだブルーのシートに深々と身を沈めながら思う。 それにしても。 「それにしても、何やってんだ、俺は」  隣

背に焦がす 32

「ちょ、マジで俺なんかが行っていいんですか?」  早坂は、ビールやスナック菓子の入った袋を両手に提げ、先を歩くキタジマに声をかける。 「いいんだよ。あのお姉さんのご指名だしな」 「そうすかねぇ……なんか緊張しちゃうな……」  妙に強ばった早坂の顔を見て、キタジマはにっこりと微笑んだ。 「なんだよ、らしくねえぞ」  当然のことながら、退院してからもまともに動けない日々が続いた。店に立てない自分のシフトの穴を埋めてくれたのは、またもや早坂だった。  さすがに、階段の上か

背に焦がす 31

〈『三?』〉 〈『はい。三、と』〉 〈どういう意味なんだ?〉 〈私にもわかりません。本人に聞いても『なんでもないです』の一点張りでした。でも……〉 〈でも?〉 〈彼女、南條さん、少し休ませたほうがいいかもしれません〉  ……そうか。  そうか、だけでした。自分が答えたのは。そうか、とりあえず一度、話を聞くか。一瞬の間そう考えただけで、すぐにPCに向き直り、プレゼンの資料作りに戻りました。 その二日後でした。 南條が、千夏さんが……命を絶ったのは。 「どうして……」  

背に焦がす 30

千夏さんは、新卒で入社してきて、自分の部署に配属されました。もちろんご存じでしょうが、広告代理店です。営業でした。  教えられるのを待つのではなく、先輩や上司の仕事を見て覚える。獲れる仕事は獲る。獲ってから考える。クライアントの期待にはどんなことをしてでも応える。昼も夜もない。残業なんて生易しいものじゃなく、出退勤の打刻スキャンも形だけ。土日も仕事は当たり前。運良く休めても度々鳴る携帯や届くメールからは決して逃れられない。 「タフな仕事です」 「うん。知ってる。続けて

背に焦がす 29

目を開けた時、見えたのは真っ白な天井だった。  生きてる。生きてるのか、俺。  自分の顔に触れて確かめようとするが、腕が動かない。左腕にゴツいギプスが巻かれているのを知った。脚にも力が入らない。身体中が激しく痛む。それでもベッドの上で身を起こそうとすると、声が聞こえた。 「おはよう」  身を横たえたまま顔を横に向けると、ミハルが折り畳み椅子に座ってこちらを見ていた。 「目が覚めた?」 「……ここは?」 「病院。頭部二箇所に裂傷。左肩脱臼。胸骨挫傷。左腕骨折。全身に複数

背に焦がす 28

店を飛び出したキタジマを、ミハルはすぐに追った。モッズコートをひっつかみ、勘定は適当に千円札を重ねて置いてきた。  五差路の手前の路地を、代沢の住宅街へ向かって駆け上がっていくのが見える。 「キタジマさん!」  その背中に向かって、走りながら名を呼ぶ。耳に届いたかどうかわからない。キタジマはミハルの視界の中でどんどん小さくなっていく。先を行く影が角を折れる度、その姿を見失った。それでも、ミハルは走った。  やがて、立ち並ぶ家々が途切れ、視界が開ける。緑道だ。ミハルは息を

背に焦がす 27

セイジのスマホが鳴った時、時間は深夜1時を回っていた。 ディスプレイに表示された『三春』の文字。電話? メールでもLINEでもショートメッセージでもなく、電話。こういう時は、大抵あまり嬉しくない話と相場は決まっている。仕事でもそうだ。何かしらのトラブルが起こった時にしか、スマホの先につながっている相手は「通話」を要求しない。  最後にミハルに会ったのはいつだったか。あの夜以来、さしものセイジもLINEで軽口を送りつけるようなことをしていなかった。もう無理かなと思いつつ

背に焦がす 26

南条。南城。なんじょう。  スマホを耳に当てたまま、もう一方の手で、ごめん、と拝むような仕草をして店の外に出て行く。キタジマは頭の中で繰り返していた。 なんじょう。なんじょう。 その響きを確かめるように。 俺は。俺は、あの黒目がちな目を知っている。  背後で自動ドアが開く音がする。ミハルはテーブルに戻ると、椅子に掛け直しながら言う。 「ごめんなさい、仕事の電話で……」 「あの」  キタジマは同時に口を開いた。ミハルは小首をかしげる。 「あの?」 「なんじょうさん、って言

背に焦がす 25

 数分後、二人は日高屋で餃子を突ついていた。 「ここになっちゃうよねえ、王将がいっぱいだと」  よくわからないままビールを頼み、何の為にかわからない乾杯をした。 店は混んでいて騒がしく、いつものことだがバンドマンだらけだった。黒い大きなギターケースが、テーブルごとにニョキニョキと木のように立っている。 「よく来るんですか」  喧騒に紛れぬよう、キタジマは声を張った。 「日高屋? たまに来るよ。ビール飲んだりタンメン食べたり」  ミハルの声は決して高いほうではないが、よく通る。

背に焦がす 24

気がつくとキタジマは早坂の両肩を思い切り掴んでいた。 「今、なんつった」 「すんません、いや、苗字もきれいだったから……フルネームで覚えち……」  釈明が終わるのを待たずに肩をぶんぶんと揺する。 「ちげえよ、その苗字だ。なんつった!」  怯えた表情でキタジマの目を見つめる早坂の身体が、微かに震えている。 「南條って……」  なんじょう? 南条か南城か、それとも。  南條。南條千夏。 自殺した俺の部下。  偶然だろう。たまたまだろう。よくあるほどではないが、特に珍しい