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全力で働ける環境に、感謝しかない。

とあるソーシャルメディアで「ワークライフバランス」や「夫婦における仕事・家事の役割分担」の記事を読んだ。いろんな思いが交錯したが、自分自身に置き換えて思ったことを書き留めようと思う。

さて、見出しだが、いつも悩むところだ。パッと浮かぶのでいくと、

「仕事と家事…どっちも大事。」

とか、

「仕事と家庭を両天秤にかけて・・」

とか。

でも、「結局それって何だ!」って思い返すと、すごくシンプルな言葉や表現に絞られることが多い。この思考は仕事においても役立っていて、プロジェクトの企画立案や事業の中計などを思案する際には、一種のフレームワークとして習慣付いているように思う。

で、この見出しに行き着いた。

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・・・私には2歳半ほどの娘がいる。平日はまるっと「彼女のお世話係」は奥さんに任せっきり。。朝昼晩と付きっきりで面倒をみてもらっている状況だ。

ウチの奥さんは、いわゆる「専業主婦」に該当するのだろうけど、私はもともとそう思っていない。家事・子育てという重要かつ大変な「家事業務」を担ってもらっている認識だ。

(※余談だが、私が勤める会社では半期ごとに査定があり、賞与が支給される仕組みだが、その度に必ず現金で奥さんにお小遣いを手渡している。決して多額ではないけど、感謝の意を伝えると共に手渡しすることに、私自身が拘っていたりする。)

だから、娘をみてくれている安心感は半端なく、全力で仕事に打ち込める環境をつくってもらえている奥さんには頭が上がらない。。

冒頭でも取り上げたメディアの記事や、それに対するユーザ同士のやり取り内容には、「父親側が全く家事を手伝わなくて困る」とか「仕事をしていない母親側がやること」とか「社会全体の課題であり・・・」など、さまざまな意見や主張が飛び交っていたが、その大半が私には共感できなかった。。

いや、そもそも、家事分担とか決めておく前提が私の感覚とはズレているのだと思った。結婚して家族となるまで赤の他人同士だった二人が、一緒に暮らしていくのだから、当然ながら生活上のルールや価値観の擦り合わせは必要だ。でも、支え合って生きていくことが大前提ならば、仕事も家事も誰かがやらないといけないわけだし、その都度、その状況で出来る方がやればいい、と思っている。

それと、もうひとつ気になった点でいくと、「食器を洗って”あげた”のに感謝の言葉が無い・・」といった「●●をやってあげる」の言い回しだ。本来なら自分のやることじゃないっていう思いが伝わってくるし、あと"〜してあげてる感"が余韻に残ってしまう。。

つまるとこ、お互いがリスペクトして助け合える関係性こそ大切だと思う。相手に対して自然に「ありがとう」が言える家族でありたい。。

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最後に、、以前に投稿したnoteにも書いた、ウチの奥さん名セリフシリーズをここで一つ。

休日、家事や娘のお世話をしていた私に対して、奥さんが放ったひと言。

「あとは母乳だけ!!」

ありがたいお言葉ですぅ~(/∀\*)

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