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社会不適合者はいかに生きていくか?

自己紹介も兼ねて、社会不適合者の僕の考察を。

キャリアカウンセリングで社会不適合者だと気づく

社会にはルールがあって、
そのルールや掟の様なものに
素直に順応できる人は、社会適合者。

そのルールや、掟に上手く乗っかれなかった人が、
社会不適合者ということになる。

いつの時代にも社会不適合者は存在する。

「なんか合わねえなー」

と思いながらも、心を殺してなんとか、
適合して来たというのが、これまでの時代の
常識だったのだと思う。

大学時代、キャリアカウンセリングという授業があった。
まともな社会人になるための方程式を
授業に招かれたキャリアカウンセラーが説明してくれた。

その授業を受けた僕は、
呆然と帰途につき、「死ぬしかないのか?」と
思ったことを克明に覚えている。

薄々気づいていたけど、
自分がハッキリと社会不適合者だと
気づいたのはその時だった。

あーあ、やっちまってるなあ。

と、痛切に思ったのを思っている。

社会不適合者でも脚本家でなんとか

一般的な道を歩けないのなら!
ということで、目指したのは脚本家だった。

高校生まで静かに自室で、
パクリ漫画に興じていたため、
脚本だ!ということになり脚本家を目指すことに。

しかし、脚本家はとてもとても狭き門。
夢と共に散ることになった。

そして、脚本家は小説家とは違って、
実はコミュニケーションが主体の職業だ。
仮に脚本家になれたとして、
僕にそれが出来たかというと、ちょっとどころか、
むしろ地獄だっただろう。

結婚をするためシャカイ人に。

こんな筋金入りの社会不適合者も、
ちゃっかり結婚をすることになった。

結婚をするということは、しっかりとした
社会人にならないといけない。

きちんとした社会人になる。
それは、それは悶絶だった。

幼少期に虐待受けるわ、いじめを受けるわで、
心は複雑骨折をしている。
脚本家を目指して、フラフラしていた
社会不適合者に社会性があるわけもなく。

社会性のなさを痛感しながらも、
なんとか広告の記事なんかを書きながら生きていた。

まあ、よくちゃんと働いてきたもんだと思う。

ベム・ベラ・ベロ以外にも、
妖怪人間はここにいたんだなと。

ご迷惑をおかけした方々に
申し訳ないのと、なにより感謝、感謝です。

そんな僕の30代の目標は、
妖怪人間を脱退して、人間になることになった。
宇多田ヒカルも唱えた人間活動宣言である。

WEB広告運用との出会い~フリーランスへ

そして、幸運にも出会ったのは、
WEB広告の広告運用の仕事だった。
これは、社会不適合者にも、
それなりに対応できる仕事である。

それでも社会不適合者感はどうしても消えない。
そこで思うのは、妖怪人間として、
生きていけばよいということだ。

つまり、社会不適合者として生きる方法を
引き続き探すということだ。

そうすると、視点が変わっていく。

社会適合者になるという視点だと、
いわゆるモデルケースに合わせようとしてしまうが、
不適合者で出来ることを探す!
と、なると方法論が根本から変わって来る。

この個性をどうやって生かすか、
繊細で傷つきやすいなら、
その繊細な感性を生かす方法を
探さざるえないではないか。

それは、自分を見つめるという行為だ。

友達は少なくても、インターネット経由で、
いろんな人がヒントはくれるから、
自分でも戦える方法を探せば良い。

何かの正解に自分を合わせに行くのではなく、
このしょぼくて、社会不適合者でも、
出来ることを探していくのだ。

いつの間にやらフリーランスになっていた。

結論、妖怪人間として幸せに生きるしかない

そしたらなんだか、
のんびりする何でもない時間に
幸せを感じる様になって来た。

昔にはなかった感覚だ。

社会不適合者でもここまでやってこれた。

やってこれたのは、
このnoteでも公開している考え方の方法論を
しょぼい自分に当てはめていろいろ行って来たからだ。

もちろん、何より妻を始め身近な人たちの助けのお陰です。

傷がある人は、傷を癒せ。
人とズレた人は、ズレたまま自分を活かせ。
妖怪人間は、妖怪人間のまま幸せになること。

社会不適合者はこの先も生きにくいことは
間違いないと思う。

それでも、自分を見つめて、
そんな人でも「出来ること」を発見できれば、
妖怪人間として生きる道を選ぶことは可能だ。



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