執着と依存に溺れる君へ
インスタグラムに投稿しているチャネリングや自分の体験に基づいてショートメッセージ発信してます。
詩的なメッセージを改めて振り返り、ブログに心情の詳細を記載してます。
最近、身に起きた体験が振り返るきっかけに。
ここ最近、「依存と執着」をしていた過去の自分はどんな状態だったのかという事を客観的に味わうシチュエーションが用意され、違う角度で俯瞰する出来事が起こりました。
ハリボテの自尊心で取り繕って、上部だけのキラキラを演出したところで中身が伴わなければ新興宗教と変わらない。
盗んだ盗品で身を包む行為によって、自分の努力を履き違える愚かさ。
他人を蹴落とし、自分を持ち上げることでモチベーションをあげる行為の恥ずかしさ。
自分の意思で自分を生きようとしなければ、どんな行動をしても傀儡のままです。 他人を羨んで、陥れて、マウント取っても自尊心は埋められません。
「依存」と「執着」のテーマ
「依存」とは、「執着」とは、私自身が人生を掲げた大きなテーマでした。
親に依存と執着をされ、元旦那に依存と執着をし合い、その本質とはなんだったのかをしこたま向き合いました。
その結論は、「自分の弱さを認められない」というところに辿り着く訳です。
「自分はもっと出来るはずなのに」
「行動出来ない自分は最低だ」
自分のことを心の底では貶(けな)してみては、そんな風に何も出来なくて行動に移せない自分がダサくて情けないと「出来ない自分」や「弱い自分」を本当は認識しているにも関わらず、「認めたら負けだ」とか「認めたら心が死ぬ」と歪んだ自尊心を守るべくして、本当は大好きな相手であるにも関わらず数々の醜い行動を起こしてしまいます。
何かの問題が起こったとしても「自分は被害者」なのだと、「自分はもっと綺麗な目線を持って未来を目指しているはずなのに」と、そんな醜くて情けない「弱い」自分が存在するのだということを認められないし、認めたくないという想いから現実逃避のために問題をすり替えてしまうのです。
ろくでもないプライドを守って大切な人を失う
しかし、そんな惨めなプライドを持ったところで大切な人と関係性は育めません。八つ当たり、マウント、他人のものを奪う、などの数々の醜い態度で人に接しても嫌われて離れられてしまうだけです。
本当に、大切な人と仲を育みたいのであれば、素直に「ごめんなさい」と自分の弱さを認める事です。
大切な人に酷くて醜い行動を起こしてしまったとどんなに心が悲鳴を上げようが、自分の責任です。
私はこれが出来なくて前の旦那さんにたくさん酷い言動や態度をしてしまいました。
大切だったからこそ、気がついた時には自分の醜い心や、情けなさや弱さをどんなに痛かろうと苦しかろうと「自分の弱さが起こした行動の責任だ」とたくさん泣きじゃくって認めました。
結果的に、互いに酷いことをしてしまったと、認め合えたから距離感を変えて関係性を保てているものの、認められなかったら修復不可能な関係性になってしまってもおかしくなかったわけです。
そう思うと、彼には多大な感謝しかありません。
そんな後悔をする前に、自分の醜さや弱さを認めて受け入れましょう。
そうすれば、どうすべきか次にすべきことは見えてくるはずです。
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