見出し画像

軽やかに演じるということ―「リアリティ」と遊び心の力

鳥のように軽やかに

「どんな重い役でも、鳥が飛ぶように軽やかに演じよ。」
かつてイギリスの演出家マイク・アルフレッズに言われたこの言葉は、私の演技観を大きく変えました。役の重さを全身で抱え込むのではなく、軽妙に、観客に届く形で表現する――これこそが俳優に求められる真の力だと気づいたのです。

レジェンド演出家と、ロンドンにある彼の自宅にて

日本の演技は、時にその逆を行きがちです。重い役を重苦しく演じ、生真面目に「リアル」を追求しすぎてしまう。この姿勢が、観客にとっては負担になりかねないことも多いのです。
しかし、イギリスの俳優たちは違いました。ナショナルシアターライブなどで彼らの演技を見てもわかると思いますが、彼らはどんなに重い役柄でも、軽やかに演じます。その軽妙さが観客を物語の世界に引き込み、深い感動をもたらすのです。


リアルとリアリティの違い

マイクが語る「リアル」と「リアリティ」の違いは、演技の核心を突いています。彼はこう言いました。
「リアルは個人の中に生まれるもの。リアリティは関係性の中に生まれるもの。」
俳優が舞台上でどれだけ真実に感じていようと、それが観客に伝わらなければ意味がありません。観客にリアリティを感じさせることこそが俳優の仕事であり、「リアル」はそのための単なるツールに過ぎないのです。

しかし、メソッド演技やリアリズム演技の流行によって、「リアル」ばかりを追求する俳優が増えているように感じます。
本番で観客を楽しませることよりも、自分が役にどれだけ没入できるかを重視する俳優がいるのも事実です。海外では、こうした俳優を「メソッドアクター」と皮肉を込めて呼ぶことさえあります。

観客にとって重要なのは、俳優がどれだけリアルを感じているかではありません。目の前で展開されるストーリーがリアルに感じられるか、そしてその中に感動を見出せるか――これがすべてなのです。


「Bill’s 44th」の衝撃

私が人生で見た演劇の中でベスト3に入る作品のひとつに、アメリカのパペット劇「Bill’s 44th」があります。この作品は、等身大の文楽のような人形劇で、1時間弱の上演時間の間、観客は人形であるビルに完全に共感し続け、最後にはスタンディングオベーションが起こりました。

この作品に出演するのは人間ではなく、人形です。当然、ビル自身に感情はありませんし、リアルも存在しません。しかし観客全員がそこにリアリティを感じ、涙を流しました。この事実は、俳優が本当に何をすべきかを如実に示しています。
※最近では映画「ロボット・ドリームズ」が、それに近い感覚を呼び起こしました。おすすめです。

なので、俳優の仕事とは、「自分がリアルに感じる」ことではなく、「観客にリアリティを感じさせる」ことなのです。
そして、そのためにはただ真面目に演じるだけでは足りません。


遊び心の力

では、観客にリアリティを届けるために俳優に必要なものは何でしょうか。
それは「遊び心」です。
子供の頃、私たちはごっこ遊びを楽しみながら、無意識に世界を創り出していました。俳優としても同じように、好奇心やいたずら心を持ちながら演技に取り組むことが重要だと思います。

イギリスの俳優たちが重い役でも軽やかに演じられるのは、この遊び心によるものだと感じます。
彼らは作品の中で遊び、楽しみながら、観客に自然とメッセージを伝える術を身につけているのです。遊び心を持つことで、俳優自身の重苦しさが消え、それが結果的に観客への負担を軽減します。そして軽妙さこそが、物語の本質を観客に届ける力になるのです。


重い役を軽やかに届ける勇気

「熱演」と呼ばれる演技が称賛される風潮が日本にはあります。
役者が自らの気合いや根性を前面に出して演じることが、「役に入り込んでいる証拠」として高く評価されるのです。
しかし、イギリスで演技を学んだ際には「俳優が批評家に『熱演』と書かれたら終わりだ」と言われました。それは俳優自身が目立ちすぎ、物語やキャラクターが観客に届いていないことを意味するからです。

俳優に求められるのは、どんな重い役でも軽やかに演じ、観客にメッセージを届けることです。
そのためには、遊び心と軽妙さ、そして「リアル」を超えた「リアリティ」を創り出す技術が必要です。舞台上での軽やかさは観客に寄り添い、物語が自然と心に流れ込むような感動をもたらします。

「鳥のように軽やかに演じよ。」
この言葉の重みを胸に、俳優としての役割を再確認し、これからも観客の心に響く演技を追求していきたいですね。

いいなと思ったら応援しよう!