見出し画像

自分に厳しいのは他人への甘え

知人男性(53歳独身)が言う。

「いつまでも若々しくいないと!筋トレにダイエット!脱毛にファッション!努力不足は罪!モテたいなんて言う資格はない!」

知人女性(49歳独身)が言う。

「いつまでも美しくいたい!年齢は単なる数字!ストイックに努力できない女はババアになるしかないの!」

それを聞いていて俺はげんなりしてしまう。

またこれか・・・と。

正直なところ、どうしてこうも苦しいのか。その努力は分かるけれど、他人を息苦しくさせ遠ざけているだけではないのか。
ストイック!努力!自己管理!犠牲なくして成功ナシ!彼らはそう叫んでいるけれど、なぜそうイキリ立つのか俺にはちょっと理解が出来ない。

もちろん若くいたいということ、健康的な体型を維持すること、美しくいることはとても大切なことだと思う。身体を動かすことは本来楽しいことだし、美容はワクワクすることのはずだ。
しかし、彼らがストイックや努力といった言葉を持ち出すたびに感じるこの息苦しさの正体はなんなのだろうと、ずっと考えていた。

思い出す出来事がある。

8年くらい前のある日、当時50歳の女性(Kさん)と話をした。
美容の仕事をしているらしく、身なりはそれなりにお金をかけているのが分かる。高級そうなコート、お金のかかった髪、綺麗に乗った化粧、高そうな靴やバッグ。そしてかなり痩せている。でも痩せてはいるけれど若々しくはない。やつれた高齢女性に見える。

「アキラさん、さっきね若い男の子に声をかけられたの。ナンパだったみたいだけど、私の年齢を言ったらびっくりしてたw そんな年に見えませんね!って言われたの」

そう俺に言う。
あー・・・そう・・・
いくら身なりを整え高級そうな持ち物で固めても、残念ながら年相応にしか見えない。誰だってそうだ。実年齢よりも若く見える人など見たことがない。見てくれは正直なものだ。
「お世辞だよ・・・目元を見たらおばさんじゃないか・・・」と俺は心で思っていたが、「若く見られてよかったね」とお世辞を言う。

「努力しているから見る人が見たらわかるんだよ!」Kさんが言った。

Kさんはとにかくストイックという言葉に執着している。
毎日、午前中はジムで鍛え、午後からはカフェで仕事をし、夜はオンラインサロンやリアルの勉強会にいそしむ日々。好きな言葉は「努力」。
キラキラな自分になるために生活すべてが努力努力努力だった。

まあ、努力が悪いわけではないけれど・・・

別に男女の仲だったわけではないが、一度旅行のお土産を持って行ったことがある。広島のめずらしい銘菓だった。
Kさんは、その銘菓を見るなりもらうのを断った。
「アキラさん、私、食べ物にはとてもこだわっているの。こういうお土産のお菓子は食べないの。なので今後も持ってこないでほしい」

「そうか、わかったよ、ごめんね。申し訳ないです・・・」
そう言って俺はお土産の紙袋をひっこめた。

食べ物の何にこだわっているのかは知らないが、某コーヒーチェーンの生クリームだらけの飲み物は毎日飲むのだから不思議なものだ。別にお土産を受け取らなくても構わないが、やはりこの「ストイック努力マン」界隈の息苦しさって何なのだろうと考えるきっかけになった。

その広島銘菓は、その夜、事務所のスタッフの一人に渡した。

「え!もらっていいの?重かったんじゃないの?ありがとう」とスタッフは言う。このスタッフは当時35歳。元風俗嬢で、18歳から俺と働いていた。

「家で旦那と食べなよ」
そう言って渡した。

このスタッフ(Mさん)だって、美容にもダイエットにも頑張っている。スタイルがいいし、ゴージャスな見た目をしている。
でも、このMさんからは息苦しさを感じたことがないのだ。

「ジムでは一時間走ってるよ。それから家に帰って子供にご飯作ってるの」
「21歳のときと比べたら、そりゃー太ってしまったからダイエットもしてる。夕食の白米を減らしたら少しやせてきたよ!でもお菓子は食べるwww」
「この前、夫に、迫力のあるエロ豚って言われたからw」

息苦しさどころか、Mさんの話を聞いているとこっちもダイエットしてみようかなという気持ちになれる。楽しそうなんだよね。事務所の中ではMさんの影響を受けて緩いダイエットを始めた子が増えた。

Mさんから受ける印象は「ストイック」ではなく「幸福感」
その幸福感をこちらに共有しようとしてくれる。それも眉間にしわを寄せてイキるような押し付けではなく、ふわっと自分の生活を見せてくれるような。
趣味の楽しさを見せてくれて、影響を受けるのと同じ感覚。

一方でKさんから感じるのは、ストイックという名前の「自分への厳しさ」。日本人は「他人に厳しく自分に甘い」ことを悪だと刷り込まれている。自分に厳しくすればそれだけで評価される社会がずっと続いてきた。

でもそれ、実は甘えじゃないの?と思う。
別に自分を苛め抜くのが好きならやればいいが、それは必ず他人を巻き込む。自傷行為は必ず他人を巻き込んで不快にさせる。
本人は他人を巻き込んでも気づかない、巻き込んでもむしろ評価されると思い込む自惚れがある。

「自分に厳しいは他人への甘え」なのだ。

自分に厳しくする必要はどこにもなく、やりたいと思うことを楽しくやればいいだけじゃないのか。その楽しさは、幸福な形で他人を巻き込んでいく。

それが本来はやりたくない「仕事」でも同じだ。目くじらを立てて頑張る必要はなくて、リラックスして制限時間の中で精いっぱいやればいいだけ。ルールを守り、ムリなことはムリで追いかけず、競争はしない、取引先は同僚や先輩をリスペクトする。それだけで仕事は幸福に周りを巻き込んで穏やかに流れていく。

一般道でいくら法定速度違反をしても、決して目的地に早く着かないのと似ている。音楽でも聴きながら、お喋りでもしながら、のんびり走った方が絶対にいい。

矛盾するようだが、頑張ることは絶対に必要だ。でも自分に厳しくしても結果は変わらない。ストイックを気取っても、似たような人間が怖い顔をして自分イジメを自慢するだけの地獄になる。

だから楽しく、いい加減に、そこそこ頑張れって話なのだ。

ストイックKさんとは、それから間もなく俺が気後れして自然と関わりを持たなくなった。頑張っていたのでどうやら美容業界でそれなりの出世をしているようだが、別に興味はない。頑張ってるねと、それだけ。

一方でMさんは相変わらず淡々と仕事をしている。華やかな名声があるわけでもなく、ちょっとした副業が最近上手くいって楽しそうだ。息子が自分のクルマをぶつけて廃車にしたとかそんな話を笑って教えてくれる。そして今も超絶美人だ。

自分にも他人にも厳しくする必要はない。
頑張る時は必要だが、それが他人を巻き込んだ自惚れではないか自問しながら、淡々と毎日を生きていった方がいい。

幸福に成功することって十分可能だから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?