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【Love Rescue】血管をなぞるように理解する夜②(2015年)

18歳の冬のはじめ。生まれ育った八戸の街でのこと。

当時付き合っていた女の子と、海の見える高台に向かった。さっきまで吹きすさんでいた雪が止み、青空が広がろうとしていた。

「アキラのそのジーンズなんだけど。」女の子が俺に言う。

「うちのお父さんが駅でアキラを見かけたみたいで、その穴が開いたズボン、気に入らないみたい。」

「そうか。別に構わないけど。」

俺はその当時、ジーンズを一本しか持っていなかった。
中学二年の時に、実の母親が俺に買ってくれたリーバイス501だった。
幼いころに俺を捨てて両親とも出ていき、とっくに縁が切れていた実の母だったが、当時は何を考えていたのか俺に時々服を送ってくれた。
物を送ってくれる割に会うことは一度もなかったので、俺の体のサイズなど知るよしもない。
そのせいで俺にはかなり大きなサイズのジーンズだった。

実の母親からもらったものだから、俺は嬉しかった。
サイズが大きすぎるジーンズをロールアップして、いつも履いていた。履き過ぎて3年もしたら膝にもお尻にも穴が開いてしまった。それを18歳になっても繰り返し履いていたので崩壊寸前だったわけだ。

壊れてしまったジーンズは、その当時にはもう過去のものとなっていたパンクファッションのように思われたのかもしれない。

「新しいの買いに行こうよ。お父さんが穴の開いたジーンズ嫌いみたいで。私さ、お小遣いで貯金しているから買ってあげる。」

彼女はそう言った。

おせっかいだなと俺は少し苛立った。

確かに穴が開いたジーンズは寒かった。でも下に黒いタイツを履いていたので別にどうってことない。家が貧乏なので俺は小遣いもないし、ましてや彼女に買ってもらうなんて出来ない。
バイト代は全額家に入れていたので新しいジーンズなんか買えないよ。

「小遣いは自分のために使いなよ。」

俺の見てくれのことなんか、お前に関係あるか。

高台にある彼女の家に着くと、父親も母親もいなかった。その日は親戚の法事で遠くに行っていて、帰らない予定だった。俺と彼女は高級そうなソファがあるリビングでテレビを見ていた。昼下がりのテレビはどれもくだらなくて、あくびが出そうだった。

彼女は何も喋らない。

俺はセックスしたかったけれど、どうやら機嫌が良くないようで、彼女はどんよりと暗い表情をしていた。

「アキラ、大丈夫なの?」

「え、なにが。」

「勉強していないみたいだし、受験とか進路とか。大丈夫かなって。」

「何がどうなれば大丈夫じゃなくなるの。」

「意味が分からない。この前の数学の点数も、0点だったんでしょ?」

そうだった。0点だった。そう思うとくすっと笑ってしまった。だって勉強も何もしてないもんな。

「先生にも目をつけられてるよ。」

「目をつけられてるからって、別に俺は困らないよ。」

「私、心配しているのに。」

もちろん俺も勉強ができて、点数を取れたらいいと思う。

でもその当時、俺の集中力が崩壊していた。その時は気づいていなかったが、発達障害の二次障害を発症していたんだ。
机に黙って座っていることができない。一つのことを3分以上やり続けることができない。幻覚と幻聴が突然襲ってくる。誰かが俺の名前を呼ぶ。それも怒りながら、不機嫌そうに。たぶんぶん殴られていた子供のころの、父親の声だ。学校にいても汗が噴き出たり、意識を失いそうになりながらトイレで吐いたり。
1989年の話だ。それが病気だとは俺も思ってなかった。体調が悪い、やる気がない、そうとしか思ってなかった。

勉強なんか当然のように無理で、俺がやっていたのは、彼女がいてもいろんな女の子を誘ってセックスすることだけ。セフレの女の子のお母さんともセックスしていたほどだ。

俺は、不良を演じるようになっていた。日増しにコントロールが効かなくなる自分の脳に説明をつけるとしたら、それは「反抗心」だったから。

全部がくだらねえよ、そう言いながら毎日過ごすことで、足元から瓦解しそうな幻覚に説明をつけようとしていた。必要なのはむやみやたらとセックスすることや喧嘩をすることではなく、薬を飲むことだったのだろう。

学校にいるときに症状が出て体調が切迫してくると、そのまま玄関に行き靴を履き替えて帰っていた。無論、教師には無断だ。

家に帰ることもなく、田舎町のゲームセンターやバス停にあったファストフードの店で制服のまま座っていた。そうしていれば、同じように素行の悪い男や女の子たちの友達が寄ってきて、夜までバカ騒ぎをして過ごす。

羽目を外し過ぎて誰かに通報され警察がやってきたり、翌日職員室に呼ばれて体育教師に殴られたり。

お坊ちゃんお嬢さんばかりの高校では俺は誰からも関わってはいけないバイキンだった。

彼女もそうだ。金持ちのお嬢さんである彼女は地元の国立大学を志望していて、きっと余裕で合格するだろう。演劇部でいつも可愛いスカートを履いて出かけるような子だ。
そんな子がどうして俺と関わり続けるのか、俺には分からなかった。

ただ、青森の田舎で高卒のまま社会に放り出されると、残念ながら低所得者としての人生しか待っていない。それを心配してくれていたのだろう。

いや、別に俺のことを心配などしなくていい。大学に入ればお前は俺のことなど忘れてしまう。新しい人間関係の方が楽しい。俺のような脳みそが病気のバカといる必要はない。
そう思いながら日々を気だるく過ごしていた。

大丈夫?と彼女に何度も言われ続けると、次第に苛立つようになった。

「俺と関わるとお前も恥ずかしいだろうし、信用もなくなるんじゃないの。そうだとしたら俺は関わらないからそう言ってよ。」

「なんでそんなこと言うの。悲しい。」

なんでって、一番理解してもらいたいのはお前なんだけどねと俺は独り言のように言い、彼女の家から帰ってしまった。

海から吹き付ける冷たい風がジーンズの膝の穴から入り込んで下半身を冷やした。ださいダウンジャケットに毛玉だらけのマフラーを首に巻いて、坂道の下の駅までうつむいて歩いた。

勉強どころか本すら読める脳みそしてないし、大学なんて合格したって学費なんか払えない。こんなポンコツな俺がやれることなんか何もない。今はバカ騒ぎをしたりセックスしたりするだけだ。でも、同じ高校三年生のセフレたちでさえ、就職や進学が近づいていて俺に絡む暇はなかった。

坂の下の駅に着くと、電話ボックスに入って小銭を数枚入れた。誰でもいいから、遊んでほしかった。会ってほしかった。でも、高校を中退して年を誤魔化して夜の仕事をしているセフレや、最近遊ぶようになった16歳の女の子も、不良仲間の男も、誰もつかまらなかった。みんな忙しいようだった。

高架線の上を走る電車から、田舎町を眺めていた。どうしようもないこの脳みそを抱えて、そう長く生きられるはずがないとふと思った。

もしかしたら、記憶を次第に無くしていくのかもしれない。このままどこかに言って、新しい生活をしているうちに、この今の糞みたいな18歳の日々も忘れていくのかもしれない。自分が誰かさえ、どこからやってきたのかさえ、自分の中から消えていき、どこかで野垂れ死ぬ。それも素敵な最期だと思った。

電車から降りた時、また雪が降り始めていた。

俺は自分をどうしていいか分からなかった。

つづく

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