見出し画像

社会と個人は30年前からリンクしていないよ

Twitterやヤフコメを見ていると、いつものように「韓国がー」「中国がー」「LGBT法案がー」「〇〇党がー」「アイヌ民族がー」「在日がー」「ロシアがー」と叫ぶ人たちがいる。ずいぶんと主語がマクロレベルなのも通常運転だ。

その圧倒的多数は40歳以上の中高年世代、それも男性。

俺なんかはその主語のデカさに居心地の悪さを覚える方なんだが、世の中の中高年男性は何も感じないのだろう。何かに必死にしがみつくように、断末魔の叫びのように、どんどんヒステリックになっていく。

なぜ、おっさんはそうなのか。おっさんになるとみんなそうなるものなのか。

それには背景があって、特に戦後の日本では、社会の発展が個人の人生の発展と正確にリンクしていた時代が長いからだ。テレビが一般家庭に広く普及すれば、その普及率で個人が幸福感を感じた時代があっただろうし、勤め先の利益の上昇は社員の年収の上昇に直結していた時代も長かった。
だから同じ価値観に身を委ねていれば、個人は必然と幸福になると信じられてきた。

しかし、今はどうだろう。iPhoneがこれだけ普及しても個人の幸福感と直結しているとは誰も思っていない。会社の利益が自分の人生と直結していると考えている人がいたら、かなりおめでたい人だ。

社会の発展が個人の幸福とリンクしなくなったのは1990年頃からだと、個人的には思っている。それをバブル景気の崩壊が原因だと言う人たちが今でもいるが、そうではなく、単純に社会が成熟していったからだ。「個人」としてどう生きるかが重要なのが成熟した社会なのだが、残念ながらあれから30年が過ぎても、個人として生きることに戸惑い苛立つ人たちが少なくない。

「中国がー」「韓国がー」というヘイトに依存しなければ自尊心を底上げできない中高年男性。
彼氏や夫の年収や勤務先の名前、持ち物のブランドでしか自尊心を底上げできない中高年女性。
どちらも成熟した社会から取り残された人達なのだろう。「マクロ」でしか話が出来ず、「アイコン」を追いかければ幸福になれるという幻想にすがっている。
中国や韓国が消滅したら、中高年男性は幸福になるかというと絶対にそんなことはないわけで。金持ちの夫を持ちブランドバッグで身を固めても不幸でしかない中年女などどこにでもいる。

個人を置き去りにして幸福などないのは当たり前なんだが、どうも理解するのが難しいらしい。

残念ながら20代30代の世代でも、個人として生きる力が全く未開発の人達が多い。言い方は悪いがあまり能力が高くない人達は、親譲り祖父母譲りの価値観にすがっていて、ネットで不安感や疎外感を感じると、ヒステリックに集団で騒ぎ安心しようとする。「親が怒りそうだ」と感じる光景を見るだけで、むやみに叩こうとする。親という自分以外の価値観に依存しているためだ。
それもまた、社会と個人が切り離されていることに気づいていないせいであって。

もっと個人として生きる力を身につける努力は必要かもね。
個人としてどう生きるのかって、個人のことだから誰も教えてはくれないし、お手本もいない。でもその努力を避けていると、他人に迷惑をかける人間になっていく。自分は正しいのだと正義の棍棒を振り回して周りにけがをさせる悪人になってしまう。
正義を振りかざした結果、訴えられ、慰謝料や損害賠償を支払うおじさんおばさんも増えているよね。

個人として生きようとすると、単なる自己中になってしまう女性も多い。
他人との距離感や、他人との思いやりの交換をするとはどういうことか、考え抜いた方が生きやすくなると思うよ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?