見出し画像

今じゃなくても、いつかまた。興味のタネの行方(うららスタッフ日誌)

今日は朝から冷たい雨が降っていて、副都心線も東横線も上下ともに遅延していたので全員がちょっとずつ遅れて出勤。西武池袋線が "小動物との接触により" 遅れているというアナウンスがあったのだけど、いつも考える。小動物ってなんだろう、と。ネコ?たぬき?ハクビシン・・・??

午後一から大東文化大学で保育士課程を履修している学生さんたちの授業のなかで、羽地さん(所長)がプレイバック・シアターを通した講義をするというので、わたしとくじらちゃん(後輩)はスタッフとして同行させてもらうことになっていた。正味1時間で朝やれる作業を片付けて、11時には再び中目黒駅のホームにいた。そのあいだに、羽地さんは本日公開のコラム(これがとてもイイ)を、くじらちゃんは羽地さんのコラムの編集、そしてプレイバック・シアターの1DayWSのチラシ作りまでやってのけていた。わたしはというと宅急便をひとつ梱包して集荷の手配に終始。かくして仕事は溜まってゆく。。。


東武練馬駅でむらっち(Lプロ7期生)おぐっちゃん(Lプロ7期生)と合流し、いざ大学のキャンパスへ。駅からスクールバスが出ているというので、みんなで乗車。ちょっとドキドキした。スクールバスって、人生で初めて乗ったかもしれない。明らかに20代にも見えず、講師にも見えなさそうなわたし(わたし達)、乗車拒否されないだろうか...と一瞬不安に思ったが、運転手さんに注意されることも奇異な目で見られることもなく乗り込むことができたのでホッとした。

大東文化大学の敷地内に入ると、ちょうどお昼時だったので多くの学生さん達が行き来していた。そんな若者たちの姿を見ていたら、なんとも言えない複雑な気持ちが湧いてきた。自分の学生時代を思い起こすからかもしれない。あの当時のわたしは「大学4年間はモラトリアム期間〜」と思いながら漫然と大学に通っていた。つまらない必修科目では「代返」を頼んだりして、学食やベンチで友だちとお喋りに興じていたり。それはそれで楽しくバカやってたなと今でも友だちと語れる思い出ではあるけれど、親の年齢に近づいた今となっては、高い学費を払ってくれた両親に申し訳なく、バツが悪いからだ。今ならもっと真剣に学んだのに!!(最大級のあとの祭り)

そんな想いもあり、今日の授業で出会った保育士課程の学生さん達がとても眩しく見えた。担任の北風先生から聞いて初めて知った「プレイバック・シアター」という言葉。見たことも聞いたこともないそれを「知りたい、やってみたい」という期待と好奇心。グループワークを一緒に体験させてもらううちに、彼女たち(女性ばかりだった)の瑞々しい感性や発想の数々、素直な感想に触れて、どこかに置いてきてしまっていたなにかを思い出させてもらったような気がする。

完全に私事になるが、わたしも大学4年のときに「心理劇」という授業を選択していたことをふと思い出した。

たしか自分の専攻(芸術文化)の履修科目ではなかったのに、ただ単に興味があって、演劇専攻のその授業に何回か潜らせて?もらっていた。その授業で、演劇を使って誰かの過去の出来事を再現したり、もしもその時こうしていたら...という別の選択をしてみたらどんな気持ちになるのか?というような実験的なコトをしているのを見て、そのときは「おもしろーい!こんな世界もあるんだ」という薄っぺらだけど強烈な感想を持った。卒業後の春休みに教授が携わっている精神科の施設に見学に行かせてもらえそうだったのに、教授の連絡先を知らないとか連絡を取るのが億劫とか、そのくらいしょうもない理由でうやむやにしてしまい徐々に興味が薄れていったような。。。忘れ去っていた記憶が急に鮮明に思い出されてきた。我ながら学生としてヒド過ぎて めまいがする。

なんだかんだと色々なことがありながら20数年という時が経ち、気づいたら、今、こうして即興劇を使ったセラピーの分野に身を置きはじめているっていうのは、なんとも不思議だ。

だから今日出会った彼女たちが、今すぐじゃなくても、いつか、なにかの折にプレイバック・シアターや即興劇を思い出して、こんどは自覚的にアクセスしてくれたらこんなに嬉しいことはない。

今日は興奮していて、いつになく長く書いてしまった。これ、日誌じゃなくて日記じゃない?ま、たまにはいっか。

ただただわたしがサイテーな学生だったことを晒したことに間違いはない。

(うらら)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?