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冬期集中ゼミ! 完結に寄せて【岩橋由莉・向坂くじら・五味ウララ】

講師:向坂くじら

冬期集中ゼミ! が終了しました。11月から年をまたいで行った全8回+発表会(リハーサル)のワークショップで、2/11が発表会でした。発表会には五人の方が参加してくださいました。

ゼミ! では、表現教育家の岩橋由莉(ゆりさん)と、わたし、詩人の向坂くじらがふたりで講師を担当しました。このふたりでのワークショップは2020年1月からはじまり、「声と言葉」をテーマとしてシリーズ化しています。

ちなみに今回のひとつ前は「象のささやき、蟻の恫喝」という、タイトルからはなにをするんだかもあまりわからないワークショップで、内容も実験的なことばかりやりました。夏休みスペシャル!という感じで発表会もなかったので、ここでわたしとゆりさんとはひとしきり遊びきり、さて、そろそろ本格的に作品づくりをするワークショップにまた戻ろうか、とゼミ! が生まれた……というふうにわたしは理解しています。
それもあって、なんとなく「今回はみっちりやってみよう」というような雰囲気がありました。

これまでの連続ワークショップでは、だいたい、ゆりさんとわたしとが交互に担当を持っていたのですが、ゼミ!ではこれを前半4回がわたし、後半4回がゆりさん、というふうに分けてみました。まず年の瀬にかけて詩を完成させた後、年明けに声のことに入っていく、という構成になっています。「みっちり」の大きな要素として最後に発表会があり、そのために作品を作っていく形になっています。

わたしの回では、まず、「ごく単純な詩の材料をあつめてから詩にする」というようなテーマのワークからはじめました(最近は、あまり詩を書かない人と詩を書くときに、詩作をどういうプロセスに分けるかということに関心を持ちながらワークショップを作っています!)発表会を踏まえて連詩なんかも挟みつつ、最終的には自分の作品を一編仕上げていただきました。
もともとオンラインでワークショップをしはじめる前は、主に対面でさまざまな方々と一緒に詩作をしていたのですが、そこでわたしがとくに好んでいるのが参加者の方が自分の詩を推敲していくプロセスでした。ひとりでありながら時間と場だけを他者と共有して、言葉の表現を詰めていく……というような感覚が好きでした。そこで参加者の方から詩作について相談を受けるやりとりも、なにか現実について語る方法の端緒を見ているようで、わたしがワークショップをしていて愛するプロセスの一つです。

それをオンラインではあまりやらずにきたのですが、最近になってゆりさんから「やってみればいいじゃん!」とアドバイスをいただき、あれこれ試してみた結果、メールでのやりとりに落ち着きました。今回はわたしの四回からゆりさんの四回までの間に、年末年始をはさんだ一ヶ月の期間があり、その間参加者の皆さんとメールでやりとりしながら推敲を行いました。
このやりとりの楽しかったこと!
先ほど「ワークショップの中で詩作をどういうプロセスに分けるか」ということを書きましたが、この関心はつまり、「どのように同じ場から異なる作品が生まれてくることができるのか」という関心です。より具体的に、「本来異なる人からは異なる作品が出てくるはず、かつそれこそが表現の魅力であるはずなのに、場やプロセスを共有したことによってときに均質な作品しか出てこなくなってしまうという残念な事態をどのように防ぐのか」と言い換えることもできるかもしれません。
そうすると、おひとりおひとりとメールでやりとりすることが今のところは最適解であるように思えています。わたしが、参加者の方と、話す、というよりは、わたしと、参加者の方と、ふたり作品と話しているような、そういう感覚が好きです。同じプロセスを踏んだ五つの草稿が、推敲によって彫刻のようにそれぞれの象りをみせてくるのは、ほんとうにおもしろく、ときに感動的でさえありました。
まあ、年が明け、ゆりさんの第一回がはじまったとき、わたしが息をあらくして「みなさん、推敲、楽しかったですね!!!!」と呼びかけたら、zoom上でみなさんが一斉に(楽しかった…………????)と首を傾げたこともまだ記憶に新しいのですが…………。

ゆりさんの四回のワークでは、既存のテキストを声に出して読むことを多くやりました。これは、いままでのワークショップでわたしと交互に担当したり、一回のワークを二人で担当したりするときにはあまりなかったことでした。おもしろいのは、全員が同じ文章を読むこと。ゆりさんのテキスト選びが絶妙で、ひとつめが夢日記、ふたつめが擬古文(平安時代の文体(中古日本語)をまねて明治時代に書かれた文章)という、それぞれ内容と文体が日常の言葉から少しだけ離れた文章でした。そのせいで、読もうとするとすこしえっちらおっちらなります。その、思い通り読めないのがおもしろいです! すらすら読めなくなってくる声は、効いていると、言葉の意味から声だけが剥がれてくるような感じがしてきます。そうすると、かえってその人の声が浮き立って聞こえてくるのです。
わたしはじつは(?)人の声を聞き取るのが苦手で、話半分でいると男性の声が全員同じ人に聞こえてきて混乱したり、アニメやなんかを見ていて「これ、あの(知っている)キャラクターと同じ声優だよね!」といわれてもまったくピンと来なかったりするのですが、そんなわたしでも、なにか声自体が持っている肌触りのようなものを感じられるようになってきます。(一度そのチャンネルが合うとしばらく声がいっぱい聞こえて情報過多になります!)そして、それもまた、ひとりひとりが本当に違うのです。
発表会でも、いくつかここで読んだテキストを読みました。ご覧くださった方で、この声の違いを感じてくださった方もいらっしゃるのではないかと思います。

「同じ文章を読んでいるのに、ひとりひとり(当然に)異なった声があらわれてくる」ということと、「同じプロセスを経由して、ひとりひとり異なった詩を完成させる」ということとは、どこか似通っているようにも思えます。またわたしが参加者の方と詩の推敲をするように、ゆりさんは声について、参加者の方に何度も細かな修正と読みなおしを求め、そのあいだ自分はじっと鋭敏に耳をすましているようなことをします。そうして、それぞれがなにかを共有していつつも、異なる結実へ向かっていく。それはひいては、「おおむね同じ時代、同じ時空に暮らしつつ、ひとりひとり異なった表現をする」ということにも思えてきます。そのことを、わたしはなにより大事に思っていて、そしてその背景にはおそらくゆりさんの多大な影響を受けているなあ、と実感した……という話でした!

またゆりさんとのワークショップはあるはずなので、ぜひ! お越しください。

(向坂くじら)


事務局:五味うらら

事務局としてワークショップに携わっていると、いつもたくさんの感情や感性に触れて心が揺り動かされます。
今回は発表会がゴールに設定されつつ単発参加もOKな講座でしたが、参加された皆さんは「自分の詩を書く」「自分の声で読む」の全10回をはじめから一括で申し込まれた方がほとんどだったので、まさに塾の冬期集中講習のように同じメンバーで密度の濃い時間を共にしました。
和歌山、大阪、群馬、神奈川、東京、埼玉に住んでいるひとたちが、毎週金曜日の夜に、それぞれの場所からオンラインで繋がり、その日の課題に一緒に取り組む。
実際に同じ空間に居なくても回を重ねるたびに確実に参加メンバーに対して親近感や、それをもう少し超えた…親愛の情のようなものが芽生えていました。それぞれの人が本当に魅力的に感じられるのです。
それは、くじらちゃんの詩作とゆりさんの声のワークが、上手に表現できるようになるとか表現を磨くといったような凡庸なことを目指しているのではなく、一人ひとりが持つ隠された個としての部分をいつのまにか表出させてしまうからなのだろうと思います。ゆりさんもくじらちゃんも表面的な技術よりもそういうことのほうがおもしろい!絶対にそっちのほうがイイ!と確信を持ってワークショップを開いているように思います。参加者もそれに呼応するように、自分の描きたい心模様を言葉にあらわすために、何度もくじらちゃんと往復書簡を交わすように詩の推敲のやりとりをしていました。
その結果、他のだれでもない今のその人にしか書けない詩が完成し、その作品を生みの親であるその人が朗読して声であらわす発表会は、オンラインでありながらも聴いているひとの琴線に触れるすばらしいひとときでした。30分にも満たない発表会でしたが、丁寧に時間をかけてきたものは、やはりきちんと他人に伝わるんだなぁと思い至りました。
発表会の模様を限定公開でWEB上にアップしているので、もしご興味のある方がいらしたら是非お問い合わせください。

4月からゆりさんが単独で、しかも対面で朗読のワークショップを開く予定です。(中目黒)詳細はこれからですが、そちらも是非お楽しみに!

(五味うらら)


講師:岩橋由莉

冬季集中ゼミは、何をしていた時間だったのだろう。
その問いを持ちながら発表会の録画を何度も聞いていました。

目的は、詩と声で表現する時間を作ること、そしてそれを発表することでした。

オンラインでは言葉の意味のやりとりはできるけど、
感情までは伝わりにくい、肌で伝わるものがない。
そんなことをずいぶん聞きますし、私自身も初めの頃はそう思ってきました。
たしかに対面と比べてしまうと、圧倒的に足りないものがあると感じるのは今でも変わりません。

ところが、ここ2年ほど、くじらちゃんと一緒にオンラインで詩作と朗読の発表会を、外部のお仕事も含めて幾度も行いました。

詩は、もともと誰にでもわかりやすいように伝えるという呪縛から逃れられる表現ではないかと思っています。それに加えて、もともと私の朗読のワークショップでは、意味から離れて声そのものを味わう時間を多く持ちます。

今回のオンラインでも、詩と声を発するだけでなく、味わう時間をたくさん持ちました。

それは、聞いてくれる人がいるとわかって発せられたものだからなのだと思います。

普段は自分の中だけで渦巻いているものを、外に出して晒してみる。一度も直接会ったことがない人が、それを聞いてくれようとする。それらの行為が、重なって今回のオンラインの時間を成り立たせていたのだと思います。

声だけで発せられたものは、その瞬間に消えていきます。

でも聞いているだけなのに、それらが自分の深いところまで届いて揺さぶられてしまう経験を何度もしました。


また詩を作っていくと、その過程で、本当に届けたい相手が自然と設定されていくのではないでしょうか。
気持ちをわかってほしい人がいて、初めて表現のモチベーションはあがります。
その人がたとえ今目の前にいなくとも、発することで
時空を超えて何らかの形で相手に届くと思います。
これは、私が信じている、という言葉の方が近いのかもしれません。

自分の内側と対話しながら詩を作ることとそれを朗読することは
大変なことでしたが、丁寧に扱えば扱うほど、
参加者の皆さんの懐がどんどん深くなって、
想像以上におもしろく、意外な表現場面にたくさん出会いました。

これからもこのこととは長く付き合っていくことになりそうです。

ありがとうございました。


岩橋由莉


★お知らせ★

岩橋由莉ワークショップシリーズ声.001

4月2日、岩橋由莉による声の講座を対面で開催します!
6月の講座へ続いていく予定。
詳細、お申し込みはこちらから!


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