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アーツ・ベースド・ファシリテーター養成講座を経て(ラボ研究生ゆきの)

2021年アーツ・ベースド・ファシリテーター養成講座(プレイバック・シアター研究所主催 通称:ファシ講)を受けた。今度2024年1月からまた開講され第Ⅳ期となるが、その第Ⅰ期生になる。

この講座は、単にワークショップのファシリテーターができるようになる講座ではない。それよりもっともっと手前の、自分の人としての在り方みたいなその根幹に大切に触れていく、そういう講座だと思う。それは直接的にではなく、いっしょに学ぶ仲間達との対話の中であったり、毎回の受講後の記録であったり、講座の中で実践するワークショップや仲間のワークショップに参加した時であったり、いろいろな場面で遭遇する。タイミングは人それぞれだとは思うが、自分が認識していない自分に出逢っていく、そんな感覚が私にはあった。

そしてそれは嬉しいこともあれば、見たくもないものを見せつけられる場合もある。

私は受講時、ファシリテーターになりたいと思っていたわけではなかった。ただ「何か」が私の中に芽生えようとしていた。温かく暗い地面の中でずっと蓄えていた力を 重い土を押し上げる力に変え、明るい陽の光を見ながら風に吹かれてみたいと思い始めていたのだと思う。
「何か」の手掛かりになるかも知れないと受講を決めた。

受講中は、無我夢中で課題に取り組みながら自分自身を感じる時間を過ごしてきたし、修了後も、以前とは少し違う自分を感じながら、その新しく生まれた自分の部分とこれからの道を相談してきたように思う。

なぜそんな講座になっているのだろう?

さらに最近になって少しずつ分かってきたような気がする…ことがある。

それは、アーツ・ベースド・ファシリテーションを実際にする時、否が応でもファシリテーター自身の在り方が出てしまうということだ。

ファシリテーターになるつもりがなかった私だが、結局2022年から少しずつワークショップをさせていただく機会を持ち、2023年からは縁あって第Ⅲ期修了生の方とコンビを組んで、自らオンライン・ワークショップを毎月開いている。
11月に開催されたワークショップ・フェスティバルにもエントリーし、対面でのファシリテーションにも挑戦した。

その中でファシリテーターとして参加者の方々と対峙する時、私はできれば空気のような無色透明な存在でありたいと思っていた。ワークショップでは参加者が中心であり、ファシリテーターは丹念に場をつくり、あとは丁寧に見守ることが大切だと考えているからだ。しかし、ここにこうして生身で生きている人間が無色透明の空気にはなれず、どうしたって今まで生きてきた自分という人間の存在を示すことになるし、自分に向かって突きつけられることになる。そんな経験をした。

そこの
人間として存在する、裏も表もひっくるめた360°全角度からの自分の在り方を見つめ、気づいている。そしてそれを自分自身の深いところで大切にしていることが、ファシリテーターとしても大切なことなのかも知れないと思いはじめた。それが参加者を大切に丁寧に見守ることに繋がっていくと。でもそれはとても難しいことで、多分ゴールはない。

私にとって、それをはじめる場が「ファシ講」だった。


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*ゆきのさんが主催されているオンラインワークショップの様子はこちら

*ゆきのさんもエントリーしてくれたワークショップフェスティバル2023の様子はこちら


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