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教育についてあ〜だこ〜だ(1)ゆり【リレーエッセイ】

岩橋由莉・五味ウララ・向坂くじらによるリレーエッセイが連載スタートします。それぞれ教育やワークショップの現場をつくってきた三人が、あらためて教育について「あ〜だこ〜だ」言いあうエッセイ。第一回目は岩橋由莉が、子どものころのじぶんを取り巻くおとなとの原初的な体験を振りかえり、「信じる」ことについて考えます。【隔週金曜更新】

ゆりさん

第1回目は私から。
トピックは「信じる力」です。
もういきなりなんなの?!って2人は思うかもしれませんね。
「信じる」という言葉の対象は「人」「システム」「神」など色々とあります。
「信じる」ものの反対には「信じない」もあります。
優しくしてくれる人がいたから、人を「信じる」、だまされたことがあるからそう簡単に人を「信じない」
大勢がこのシステムでやっているので「信じる」、システムの範囲外で生きてるから「信じない」
「信じる」も「信じない」も私は長らくその人個人の経験値によって培われていくものだと思っていました。
でも私が話したいことは、そういった個人の経験のもう少し手前のところにある、人の「信じる力」がどんなふうに養われていくか考えてみたいと思っていて、この文章がそこに到達できるかどうかわからないけど、恐る恐る文章を進めてみます。


最近友人の真帆さんとYouTube配信の動画を撮っていた時、彼女から質問がありました。「自己表現を意識したのはいつごろか」という質問でした。彼女は未就学児や小学生の表現サポートを現場の先生方とともに考える仕事をしています。今、コロナ禍で直接接触を制限させられている子どもたちの表現活動についてできることは何かを考えているようでした。
「自分の表現」を意識したのはいつか、と問われ、わたしは自分の小さい頃の3つの年代のシーンが浮かびました。

1つは年長さんの時に家で太陽の絵を描いていた時です。太陽から出る光の光線を私は直線ではなく、すべて先っちょを渦巻きにして描きました。それを見た姉妹が「太陽はこんなじゃないよ」と言って母親にゆりが変な太陽を描いている、と言いました。その時に母が言った言葉を私はいまだに覚えています。「ゆりがそう思ったんだからいいのよ、それで」

2つ目の場面は、私が小学校の低学年の時のことです。妹が新しいスヌーピーの枕を買ってもらいました。妹と私は四人姉妹の下なのでほとんどがおさがりで、自分だけのものを買ってもらうことはまずありませんでした。買ったばかりのフカフカの感触に妹はすごく興奮して、畳に置いた枕を背にして座ったままで後ろ向きに何度も倒れるという遊びを始めました。その遊びがすごく面白そうで私も嬉しくなってその枕をさっと取りました。遊びの一環のつもりで少々頭を打っても笑い合っておしまい、みたいに思っていたのですが、思った以上に倒れる力が強くて彼女は頭を強く打って泣き始めました。それを見ていた父親が「自分が買ってもらえなかったからって、妹に意地悪するな!」とすごく怒りました。そんなつもりではなかった、これは遊びのつもりだった!と言い訳したかったのですが、そのことを何も言えずに私も大泣きました。

3つ目の場面は小学4年生ぐらいの時の場面です。絵を習いに行ってたのですが、ある時みんなで和歌山から京都の美術館に絵を見にいくことになり電車に乗りました。その頃身体が弱かった私は滅多に遠出することはなく、ましてや友だちと電車で出掛けたことはなかったのですごく楽しくて、ずっと笑っていました。電車がトンネルに入るたびに「ゴッ!」という音とともに窓ガラスが揺れるのがなぜかツボにハマってしまい、ずっと笑い転げていました。母親といるといつもなら公共の場でそんなふうに大笑いすると、他の人の迷惑になるから、とやめさせられてしまいます。が、その時はっと気づいて絵の先生を見ると、微笑ましそうに私を見ていてくれていました。思えば、その先生はよく何も言わないでみんなを見ていてくれていました。夢中で何かをしていたり、笑っていたりしてふと視線を感じると先生がにこやかにこちらを見ているのです。ある時、ヨットハーバーに写生に行った時、私はヨットを描かずに自分の手を一生懸命描いていました。たまたま通りかかった知らない大人たちが「あ、この子だけヨットじゃないもの描いてるね!」と言いましたがわたしは全く気にしませんでした。そこでは何を描いていてもいいとわかっていたからです。その数年間の経験のおかげで今でも絵は下手ですが大好きで描くことを厭いません。


「自己表現」と言われて思い出したエピソードに共通しているのは近くにいる大人の存在です。母親、父親、最後に絵の先生。どの大人も私が気づく前から私のことを見ていてくれた人でした。2つ目の父親の時は、父が私を見ている目は妹をいじめているという彼のフィルターがかかっているのを肌で感じたものの、そのことを言葉で指摘することも当然できず悔しい想いを飲み込んだ記憶が鮮明に残っています。
1つ目の太陽の絵を描いた時に、もし母親が姉妹と一緒に「おかしいわね。なおしなさい」と言われたならわたしはそうなのかと思って直したと思います。それくらい私の自己表現のはじまりは近くの大人の価値観に左右されるものでした。

つまり何が言いたいのかというと、私は小さい頃から自分だとか、自分の表現だと感じているもっと前から誰かが私を見ていてくれた、という感覚があるのです。それは身近なところでは親や両親、先生、近所の人で、その人たちがどんな目で見つめているかも感じでいました。「岩橋さんのところのお子さん」とか「お姉ちゃんなのに」とか「妹だから」とかのフィルターがかかっている目はなんとなく感じます。なので、絵の先生が何も言わないでそのままを見守ってくれていたのは、不思議だったし、心地良かったのでした。

子ども時代にこうやってみてくれていた人がいたことでようやく私は私をよしと思える。たとえそれが心地よくないものだったとしても、それがあったからこそ視線の快、不快の違いがわかる大切な経験だったのだと思います。


えっと、ここからが一番言いたいことでもあり、伝わるかどうか恐る恐るなのですが、じつはそれ以外にも確実に何かが私のことを見ている、とずっとなんとなく肌で感じていたのでした。それは神様とか、仏様とかいうのかもしれないし、そうではないかもしれない、例えば深い森に行った時に感じる気配とよく似ていて、それはとにかく人ではない、すごくすごく大きなものです。幼稚園だった頃古いマンションに住んでいて、その階段の踊り場でそれがそのままのわたしをずっとみている、と感じていました。階段に1人座っていろんなことをその大きなものにお話をしていました。それはもちろん目に見えるわけではないので人にも言わず、そんなものがいる「そう信じている」という言葉が一番近いのだと思います。
たぶん、このことが私にとって何かを信じる、人を信じる、物事の起こったことを信じる出来事の基礎のような気がするのです。

「信じる」って、自分の力以外のことを認めることだと思っています。
自分にできることをやって、そこからあとは場に、人に、成り行きに任せる、それが私にとっての表現の場の基本なのかもしれないと思っています。
なので小さい頃からできるだけ自分の及ばない範疇の領域にも触れる機会があったらいいなあ、そのことを知っていることがどれだけその後の人生を生きやすくするだろうか、とも思うのです。

これは、ただ、自分の周りのことを受け入れろ、と言っているわけではありません。十分にそのことに対しておかしいと思えばあらがうことも当然で、むしろそういった本気さが自分のおよぶところ、およばないところを実感することになり、「信じる力」を更新させていくのではないかと思うのです。

ワークショップの現場で大切にしていることはまず見る、聴く。判断するのではなく、まずそのものを見つめてみる時間。そこから何かが始まる、そう信じています。

考えてみると、その人の「信じる力を養う場」も教育なのではないかとすごく思います。

(ゆり)

↓次回(担当:くじら)


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