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ネットプリント『ゼロの花束 vol.4』を考える。

 どうも、田村奏天です。かなで、ではなく、かなめ、です。天は当て字なので読めなくてもいいです。音は多分、あめつち、とか、そういうところから来ています。いずれ読める人が増えるといいな。ということで、新年なので改めて名乗りました。特段、変な意図はありません。
 さて、みなさん知っていますか。『ゼロの花束 vol.4』が発表されました。詳しくはTwitterなどを見ていただければと思います(2020/1/16追記:配信期間が終了いたしました。印刷してくださった方々、本当にありがとうございました。感想を #ゼロの花束 をつけて発信していただけますと、作者の目に止まりやすくなりますのでぜひ。印刷していない方々も、このハッシュタグを検索していただければおおよそ様々なことがわかるかもしれません)。あ、いえいえ。今回は1作品1作品への感想じゃなくって、思ったことをつらつらと述べていきます。なので、〈読む〉ではなくて、〈考える〉。そんな感じ。
 そんじゃ、はじまりはじまり。


 なんていったって2020年というのはなにか強いイメージを与えてくる年だ。並んだ数字の規律の良さであったり、想像される世界的なスポーツの祭典を思えば、それはわかることだと思う。でも、それは"今年"が生み出したイメージだけじゃなくて、"去年まで"が繋いできたものな気もする。

イエスという顔をしている 我々に時を延べうる術はないのだ
/成田遠足『猫は瞳』

時間は流れていて、2020年になるまでにたくさんの過去ができあがって、今を急いで、未来が見られて、昔の若者たちが熱狂した"2000"という数字に重なる"20"の魔力は、つまりは今の大人たちが投げ捨てられなかったものなのかもしれないね。それをなんと呼ぶの?きっと陳腐な呼び方なんだろうな。でもその陳腐さに救われながら、憎めない陳腐なその言葉の中を生きているぼくたち。そしてぼく。

死にたいと思った日々をたずさえて何食わぬ顔した人、ポツン
/ガイトさん『しにたくない』

そういえば、ぼくにとってのトトロやピーター・パンはいつまで隣にいてくれたんだろう。たとえばぬいぐるみたちは、今でもボクの部屋を俯瞰していて、たとえばボロボロになったタオルケットを見れば、ボクはまだ夜が自分にとって狭くて、大きかった頃を思い出す。それぞれとの日々にそれぞれ思うことがあったんだっけ。今もあるんだったっけ。

神回たるゆえんを前にぼくたちはフライドチキンを投げ合っていた
/杉本茜『消えて一瞬直線に走った』

そうやって語っていればぼくたちは過去形にした言葉の中で、ぐるぐる、ぐるぐる。湯気みたいだね、とか。あるときからぼくたちの温度は100度を越えていて、湯気になってしまったようだ。ふわふわ、ふわふわ。時間なんて曖昧で、偉い人は"過去"も"未来"も、"今"のあり様だって言ったらしい。なんとなくわかるかも。でもなんとなく、どれも過去になっていくのなら、どれも"過去"のあり様な気もするんだ。胎児の呼吸、みたいな湯気。

幼さにぐっと冷たくなるポカリ
/冬桜『病み上がる』

でも、"Kako","Ima","Mirai"なら、"Mirai"が一番可愛い気がしない?なんというか、ローマ字表記にされた日本語の中でも、そこそこのランキングで可愛いと思う。君なら付き纏ってくれても大丈夫だよ、包める気がするんだ。"Kako"は、思ったより元気そうだね。だからいつも君は包んでくるのかな。明るいね、見た目だけ?知らないけれど、これからもあんまり知れないかもしれないな。塞ぎがちなぼくたち。"かこ"、"いま"、"みらい"は、どれもあんまり好きじゃないかなあ。塞ぎがちなぼくたち。


 時間の中で、年賀状を作りました。便利になった世の中で、ぼくはそれを友人たちに送らなかったです。くれた人たちはごめんなさい。お詫びといってはなんだけれど、どんな年賀状かといえば、20枚のぼくの写真を使いました。 2000→2020のボクは、それぞれ他人が並んでいるようで不思議だったし、なにより、こんなに愛されているんだな、なんて、これまた陳腐な改めてのこと。でも、ぼくはこんなに欲張りで、自分勝手で、いつもいつも何かを求めて願っていた気がするのに、どの年もどの年も、何を求めたのか思い出せないままだった。

暗闇に輪郭が溶け落ちていく鳥のさえずりだけが救いだ
/池田明日香『五感』

たとえばそれは、ぬいぐるみ、たとえばそれは、その年の仮面ライダーのベルトや武器・戦隊ヒーローのロボット、たとえばそれは、流線型を描く鉄の独楽、たとえばそれは、少年たちが夢を見る小説、たとえばそれは、パソコンやスマートフォン。でも、その時本当に欲しかったものは?……本当に欲しかったのはきっと、それぞれのかたちをした"強さ"だったんだと思う。弱いねえ、ぼくたち。何が弱いかも考えられないけれど、ささくれた指先はそのひとつ。

かたちのないものが欲しいと思った 記憶の中の花、みたいな
/守屋竜雅『秘密』

今でも欲しいものには"強さ"がつきまとう、気がする。それを仕方がないだなんて言わないけれど、臆病さには自覚がある。自分の欠点は?と言われたら、怠惰と臆病、と即座に答えてそれを治せないぼく。たったの二つはたぶんたくさんの二つだ。そんなに簡単に変われるのなら、今頃ぼくは自分の思い描いた姿になりきれているはずだよね、といってしまうあたりが弱さ。今日も抱き寄せるぬいぐるみ。

劇薬を注ぐ手つきが鮮やかで、飲み干す これが夢じゃなくても
/冬桜『体裁を』

目が覚めれば抱き寄せたはずの彼らを遠ざけているぼくに笑ってしまう。彼らがいたはずのブランクを、一度夢と呼んでみるとして、思ったより小さい夢にうなされていて、思ったより小さい夢の中で見栄を張っていたんだなあ。わざと狭くした、わざと暗くした部屋にひかえめに差し込む朝日。今どんな顔してるんだろうなあ。しばらくは鏡を見られずにいる。

浴槽がぼくにぼくが浴槽に適応するとあふれる涙
/豊か『悲しいだけの歌』

一人でいることがだいぶ増えた。家族の時間もそれぞれ変わって、家にいる時間がばらばらになって、まあ、普通のこと。一人の中で考えることは、どれも他愛のないことで、その日の夕食とか、漫画の新刊のこととか、自分の生き様とか。本当に他愛もなくて、あくびが出てしまう。本当に眠いのかどうかもわからず、病のようにただただ目を瞑る。見たくないから?考えたくないから?


 まぶたを重ねても考えは続いてしまうね。とぅーびー?おあのっとぅーびー?みたいな。眠れば夢を見るね。憂いね。でも、それでも夢をみたいな。それが悪夢でも、どんな夢でも。夢は地獄にゃならんでしょ。なにしろ、こんだけ長くてそろそろ飽きられていそうなこの文章だって、"考える"を謳ったのなら、それは夢と同じさ、ワトソン。

消費 火を幾重にもかさねたら炎が咲くのとおなじ理由で
/帷子つらね『blaze』

別にシャーロック・ホームズに詳しいわけじゃない。たぶん疎い方。読んだりはしているけれどね。とはいえ、僕とてさまざまな彼を知っている。アイアンマンと同じ顔だったり、ドクター・ストレンジと同じ顔だったり。どちらも見ていないからネタバレNGだけれど、シャーロック・ホームズという影は彼らに纏われる。まるで在るものかのように現実世界に重なる。ぼくはもう在るものだから難しいかもしれないけれど、その影のひとかけらでも、自分と呼べるものになればいい。

てのひらが同じ温度になるまでの今日のこれまでの生活は
/朝凪布衣『アリア』

影が伸びた記憶はいつも帰り道。作り出すのは夕焼けか、街灯か。なんというか同じ影がいくつか重なり合うその瞬間を、写し出すのが下手くそで、満足のいくものはできていない。黒と、茶色と、橙色と、名前があるような、ないような色たちで構成された、不完全な線対象。何に見える?と問われるようなかたち。ぼくはそれに答えるのが下手くそで、身構えて、格好つけて、「熱量」とか言う。見えるもので語れよ。俗物らしくさ。

教師すら黙りこむいちめんの鱈
/杉本茜『冬に生まれたけれど冬は寒いと思う』

帰り道は全部家に続くわけだけど、帰りたい日も、帰りたくない日も、感じる長さは実は同じくらい。まあ、物理的な長さは同じだから当たり前だけれど、あるじゃん。精神的な距離っていうか?そういうやつ。……まあ、どうせ坂が多いからなんだけどさ。

スプーンをくべてくべて飲むシチュー
/ガイトさん『冬』

帰ってきて荷物を置いて、飯食って。ひとりでいるときも、ふたりでいるときも、あんまり喋りたくないのに、沈黙は苦手。O型って感じ。ちなみに血液型の話にすぐ飛びつくのはO型とA型……らしい。知らないけどさ、だいたいみんな知らないから言うんだよ。知らないものが自分のなかにかさばっているなんて少し怖くない?だから、信憑性のないことほどきっと口にしたくなるんだろうし、信憑性のない噂ほど、かさなる。

対岸に水紋とどきけり羆
/日比谷虚俊『とまる』

噂は足がはやい。リレー選手かよ。小学校のときのリレー。結局走れなくて応援する側、六年生になってようやく補欠になったくせに「オレが補欠なんだ、自信持てよ」みたいなこと言ってたけど。意外とはやかったんです。足。ぼくも、ぼくの友達も、ぼくの好きな子も。つまりは多分、ぼくを好きだった子も。でも大体小学生のプライドって、運動会で好きな子が違うチームなら応援しない、みたいなちっぽけなプライド、その日友達がリレーに勝って、好きな子は転んで骨折して、ボクはどうしていたんだろう。あの後のことがあまり思い出せない。


 運動も勉強も、それなりにそこそここなしてきたつもり。普段からするわけじゃないけど、大抵のスポーツはそれなりにできたし、勉強も、まあ無難に大学に上がれたけれど、家で勉強道具を広げたことはない。家で勉強するの好きじゃなくって、昔から。家の机でまで嫌いな計算をしていたくないし、毎食嫌いな野菜をたべろと詰め寄られている感覚。それに、ただ生きているだけでも、いろいろな答えを探すのが大変だったんだ。

月の光 違う エアコンの光に照らされた白 違う 黒のドア
/樋口陽介『、あるいは現実』

出ない答えばっかりを探している。だから解の公式なんて覚えちゃいない。人間らしいなよなよした生き方でいいじゃないか。幸運なことにぼくの周りには昔から、そういう輝かしい大人たちしかいなかった。見つけてはまた探し、見つけてはまた探し、正解も不正解もわからない世の中で、ぼくたちは果たして"ちゃんと"生きていけているのでしょうか。まあ、この答えだってわからないけど。

✓問二十. ① → ④ →   →   → ③ ??
 ①生まれる ②恋に落ちる ③死ぬ ④疲れる ⑤友達作る ⑥働く
            /もりえ『或答案の落書』

ただ、少なくとも変わらない答えは「ぼくが光に囚われている」ということ。光の中にいたい。もっともっと、輝いていたい。光でありたい。そういう言葉は昔っから変わっていない。だから正直就活の話とか苦手。どう答えたらいいのかがわからない。臆病で怠惰で動き出せない自分が夢を語るのは違うし、でもぼくの答えに背くことを言うのも違うし、それに、身勝手ででも確固たる決断は、一番近くに棘を刺すことを知っている。

サルビアの紅を正しく訳せ
/もりえ『夏以後』

てか、みんな生きるの上手すぎるんだよ。大学生活これで何周目?なんどコンティニューした?夢追うのとか、何回リセットしたんだよ。
弱気になるぼくに、ヤツは「お前が恋した回数」と答えた。多く見積もられたのか、少なく見積もられたのかは、いまだにわからないでいる。

小春日のクレープ端をむむと巻く
/持田もちか『続・くらし』

結局まだ何者にもなれずにいるし、全部が全部ド下手くそで、ド下手くその責任が回ってきて余計ド下手くそだけれど、頑張って頑張って、問い詰めて問い詰めて、少しずつ組み上がってきたシルエットが、気がつけば20直前になっていた。てかもう今年で二十歳かよ。こうも暦に象られてしまっては逃げ場もないんやね。なんて、エセ関西弁は多分まだシルエットにすらなりきれてない証拠なんだろうなあ。はあ、帰って甘いもの食って、そんな簡単なことで回復してしまえ、自尊心。

 

 ……それでぼくは『ゼロの花束』でなにを言ったのかって?それは君の目で確かめなくっちゃ。どうせ君も好きなんだろ、ぼくのこと。

 

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