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まちのモラルは、まちの祭りで育む #LOOK LOCAL SHIBUYA恵比寿編

渋谷といえば、スクランブル交差点。そうイメージする人も多いけれど、それだけではない。原宿・表参道・代官山・恵比寿・広尾・代々木・千駄ヶ谷・上原・富ヶ谷・笹塚・幡ヶ谷・初台・本町、これぜんぶが渋谷区なんです。
『#LOOK LOCAL SHIBUYA』は、まちに深く関わり、まちの変化をつくろうとしているローカルヒーローに話を聞いて、まちの素顔に迫る連載です。
 
恵比寿編SESSION3は、「子育てとまちの可能性、課題」がテーマ。イベント運営で発生する行政との折衝の苦労話から、いまの恵比寿が抱える課題、恵比寿の地で夢見ていることまで、ざっくばらんに話し合いました。
ゲストは、2023年で70年を迎えたエビス駅前通り商店街の理事長である雨宮孝幸さんと、恵比寿ビール坂商店会会長の茗荷原剛さん。聞き手は、恵比寿新聞の高橋賢次さんと渋谷区観光協会の金山淳吾です。

左から渋谷区観光協会・金山淳吾、恵比寿ビール坂商店会会長/株式会社エムプリント・茗荷原剛さん、エビス駅前通り商店街町会理事長・雨宮孝幸さん、恵比寿新聞・高橋賢次さん

>>パート1はイベントと行政の関係、ルールと社会の変化について語っています。
https://note.com/play_shibuya/n/n9782615b09ba


「ただの恵比寿」が、憧れられるまちになった

高橋:雨宮さん・茗荷原さんの子ども時代、恵比寿はどんなまちだったのですか?
 
雨宮:なんというか、ただの恵比寿でしたね。当時は渋谷でさえも、交通の便がいいデパートが数店舗あるまちでしたから。そういえば、東横線は恵比寿に止まる予定だったそうです。でも、恵比寿の地主の皆さんが反対したので、代官山・中目黒へぐるっとまわっていった。
 
高橋:だから東横線は曲がっているんですか!
 
雨宮:当時の恵比寿は、それぐらい保守的だったんです。我々はそういう保守的な環境で育ったので、お祭りをして恵比寿を盛り上げようなんて考えなかった。
やっぱり恵比寿が変わったのは、(恵比寿)ガーデンプレイスですよ。あれができて、昔の恵比寿から脱皮して、生まれ変わった。おかげで恵比寿が真ん中にあり、広尾や代官山、中目黒があるというイメージが定着したと思います。
 
高橋:恵比寿ガーデンプレイスは、まちも人の流れも変えたんですね。
 
雨宮:まちに大きな開発があると、人の流れが変わるんです。恵比寿は流れにうまく乗ったのだと思います。

エビス駅前通り商店街町会理事長 雨宮孝幸さん
恵比寿駅前交差点から恵比寿南3丁目交差点間をつなぐ『エビス駅前通り商店街』。雨宮さんは1971年から商店街町会と関わり、エビス駅前通り商店街や恵比寿のまちの発展に尽力してきた。

高橋:茗荷原さんが会長を務めているビール坂商店会は、もともと恵成商店会でした。まさに、恵成商店会は恵比寿ガーデンプレスに反対する側でしたよね。
 
茗荷原:当時は、客をとられるんじゃないかと心配だったと思います。なんというか……我々は狭い範囲で生きていたんだよね。まちの開発が進むと、自分たちが損をするのではないかと思っていた。
 
雨宮:そうですね、気持ちがね、狭かったんですね。私は、その心の狭さに気づかせてくれたのがガーデンプレイスだと思う。その後にアトレもできて、今は平日の昼に行っても女性のお客さんがたくさんいますよ。大したものです。

ただ、今はガーデンプレイスの象徴的なものがなくなってしまいました(※恵比寿ガーデンプレイスの中核だった恵比寿三越が2021年に閉館)。インパクトのある何かをやっていただくといいのかな。
 
高橋:盆踊り記念会館とかね(笑)。
 
茗荷原:僕は、恵比寿はずっと田舎町だと思っているんですけど。でも、二十歳くらいの遊んでいるころに感じていたのは、六本木に行くためには恵比寿を経由するしかなくて、遊ぶためには恵比寿に来る必要があった。立地を見ても渋谷が隣にあるし、中目黒も近い。こんなに条件が揃っているのに、恵比寿はなぜ有名にならないのだろうと思っていました。

恵比寿ビール坂商店会会長/株式会社エムプリント 茗荷原剛さん
恵比寿4丁目から恵比寿1丁目を境に下るビール坂を中心にした『恵比寿ビール坂商店会』の会長で、株式会社エムプリントの代表も務める。『恵比寿ビール坂祭り』は2023年に11回目を迎え、恵比寿の秋の名物として定着しつつある。

金山:僕の実感ですが、恵比寿は渋谷区の美味しいお店密度がもっとも高いまちだと思います。渋谷を卒業して、大人の階段を登るときに、恵比寿におじゃまする。デートで美味しいごはんを食べるまちとして恵比寿を選ぶ。今も、大切なお客様との会食は恵比寿です。
 
茗荷原:昔から恵比寿は、何でも大丈夫なまちなんです。渋谷へ行くのは、量販店に用事があるときだけです。
 
金山:かっこいい先輩たちに恵比寿のいい店を教わると、大人になった感じがしていました。恵比寿に認められた証をもらった感覚がある。
 
茗荷原:そう感じる人たちが多いから、「恵比寿は良いまち」と言われるのでしょうね。
 
雨宮:我々は、どちらかというと恵比寿は大人のまちだと思っているし、大人のまちだと思ってほしかった。しかし、最近は若い人たちが恵比寿に増えたと聞きます。たしかに、まちを見渡すと若い人が増えていると感じる。ここは、我々の理解が不足していたのかなと思うんです。今後は若い人たちも一緒になってものごとを考えていくべきだと思いますね。
 
高橋:たしかに、コロナ禍の3年でまちの客層は大きく変わったなと思います。
 
金山:先輩たちに聞きたいのは、恵比寿はたしかに低年齢化していると思うんです。この状況を、どう見ていますか? うれしいのか、それとも大人のまちとしてのブランドであり続けたいのか。
 
雨宮:私は、基本的には大人のまちとして見てもらいたい。ただ、年配の皆さんばかりでもね……高齢者の居場所があるのは、それはそれでいい。でもやっぱり、まちに活力を与えてくれるのは若い人だと思います。これからは、それぞれの世代がうまくマッチングして、何か取り組めることがあるといい。じゃあ、取り組みとは具体的に何かと言われると、答えは出ないんだけど。あなたたち、観光協会の皆さんに提案してほしいですね。
 
茗荷原:若い人たちのまちと言っても、いろいろあると思います。アトレ恵比寿の西館に大型ビジョンができました。あのような大型ビジョンが駅前に複数あると、渋谷っぽくなっていきますよね。それはどうなのかなと。
 
雨宮:渋谷の中心街はね、歩いていて空が見えないんですよね。
 
茗荷原:恵比寿は東口に横丁などがあって狭いので、渋谷のような開発はされないと思いますが。あまり大きくならないでほしいというのが、正直な気持ちです。

まちの行事が、モラルを育む

雨宮:2022年に、恵比寿駅高架下の壁画がリニューアルしましたよね。実はいま、落書きがすごい状態になっている場所があって、そこも壁画のリニューアルをしてほしいんです。
 
高橋:高架下の壁が変わるだけで、一気にまちが明るくなりますからね。
 
雨宮:高架下だけでなく、いろんな場所にまちのアートとして広がるといいなと。モラルが変わりますから。
 
茗荷原:まちの風景で思い出したのが、自転車でまちづくりをするという話です。恵比寿はもともと放置自転車が多いそうです。それで、電動キックボードのLUUPを導入して、まちを巡ってもらう話が出てきています。
 
高橋:LUUPは大反対している人たちがいますよね。なぜだろう。
 
茗荷原:自分が車に乗っていて、LUUPで移動している人を見るとちょっと怖いから、反対する気持ちもわかります。まちづくりにLUUPを取り入れるとしたら、反対派の皆さんにどう理解してもらうか。
 
金山:渋谷は、観光インフラにシェアリングエコノミーを入れることを推進しています。結局、まちにモノが多すぎるんです。車も多いから駐車場難民になる人たちがいる。だったら、渋谷で走る車をシェアにしたらいいのではないかということです。
 
雨宮:シェアという発想は悪くないと思うんです。気軽に行きたい場所へ行ける。あとは、借りる人のモラルが大切ですね。
 
高橋:借りる人のモラル・使う人のモラル・まちで遊ぶ人のモラル……いろいろありますね。

恵比寿新聞 編集長・高橋賢次さん
1975年、奈良県生まれ。2009年に『恵比寿新聞』を立ち上げる。恵比寿ガーデンプレイスにあったパブリックスペース「COMMON EBISU」のプロデュース、大学の非常勤講師、各種イベントの企画・運営など活動は多岐にわたる。

金山:モラルって、恵比寿というまちの今後のヒントになりそうですね。恵比寿の大人性って、モラルが関係していると思うんです。恵比寿が大人のまちでいたいというのは、イコール「モラルのあるまちでいたい」ということだと思う。でも、モラルって堂々というのは小っ恥ずかしい。
 
雨宮:言葉を変えて、大人の常識をみんな持っているまち、とかね。逆に、若い人には若い人の常識というのがあるのかな。
 
金山:若気は至るからなあ〜。
 
雨宮:若い人たちも、まちのお祭りやイベントに参加することでモラルに触れていくといいですね。そうして、モラルがある状態が当たり前になっていくと良い。
 
高橋:「これが、まちのモラルだよ」と教えなくても、お祭り自体が教えてくれることは多そうですよね。
 
雨宮:まちの行事に参加することで、守らなきゃいけないことがあると知っていく。いろんな場面を経験して、守るべきルールを知って従うことで、まちのモラルが上がっていくのでしょうね。

恵比寿というまちで夢見ること

高橋:最後に、これから恵比寿というまちで取り組んでいきたいことを話したいです。
 
雨宮:こども食堂というのかな。商店街として、地域として、社会貢献をしていきたいと考えています。商店街というと、もちろん来てくださる皆さんが大切なのですが、これからは社会的責任をとることが必要だと思っています。

ただ子どもたちに弁当を配るんじゃなくて、たとえば寿司屋がきて握ってくれるとか。恵比寿の子どもたちには、そんな体験をしてほしいなと。個人的な私の夢なのですが。
 
金山:その発想、素晴らしいです。こども食堂は、子どもたちの足りないカロリーをどう補うかという話ですが、そもそも食事は何でも食べればいいというものではない。恵比寿は食の文化があるまちだから、年に一度でもいいから、子どもたちにもこだわりの食事を食べてみてほしい。

渋谷区観光協会・金山淳
1978年生まれ。電通、OORONG-SHA/ap bankを経てクリエイティブアトリエTNZQ設立。2016年から一般財団法人渋谷区観光協会代表理事として渋谷区の観光戦略をプランニングしている

高橋:恵比寿には、本当にたくさんの飲食店があるんです。2キロ範囲内に1,500店舗あるんですよ! そして、ジャンルもさまざまです。恵比寿には多様な国の料理をつくる人たちがいるのだから、子どもたちに食の多様性を知ってもらう機会があったらいいですね。
 
金山:手を差し伸べる必要のある子どもだけでなく、まちの子どもたちがみんな参加できるといいですね。参加する子どもに親の収入や家族構成で境界線を引かずに、みんなが参加する機会ができてこそ、まちの取り組みとして良くなりそうです。
 
高橋:恵比寿っ子は、子ども時代に30カ国の料理を食べている状況になるって良いですね。飲食店だけでなく、各国の大使館もあるから、可能性は開けていると思います。
 
雨宮:そこまでやるには、すごく時間がかかるかもしれません。でも、やりたいですね。
 
高橋:雨宮さんの夢がどう続くのか気になります。この対話は、これからも続けていきましょう。
 
金山:ぜひ、これからもいろんな接点を持たせてください。僕たちは、こっちで失敗して、あっちで成功してと繰り返しながら進んでいるので、そんな経験をこれからも情報交換させてほしいです。

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