【ノンタンの詩歌公論】『ずっとずっとずっと』
長屋さん(以下姐さん)の歌声は本当に力強くてかっこいい。
そして歌詞からは全く予想のつかない角度からそうきたかっていう視点の心のグッとくる熱いメッセージが、メロディーからは誰も今まで発明したことのないような斬新な音の響きが届く。
その中でもこの曲は本当に好きだ。
姐さんは熱いけど割と飄々と生きてる感があって、暗い中にも覚悟が伝わってくる。
明日に希望はない、でも生きなければいけないし、生きていたら捨てたもんじゃないよ、ということを僕は受け取った。
姐さんの何があっても生きていくんだ、という決意や世界への愛、「まだ」「何一つ」、見離せないというもっと幸せに対する強い思いが感じられる。
この曲は上手く歌おうと思うと結構難しいと思う。
感情を込めて歌いたいのに、感情がこもるとすごく下手になってしまう。
姐さんの歌唱力の凄さが良くわかる。
強弱や緩急もそうだし、一拍一泊の音の出し方がものすごく上手い。
そして音の高さや強さなどの定量的なものだけではなく、感情がこもっている。
歌詞にこもった情緒がすごく繊細かつ優美かつ力強く届くものとなっている。
今日もこの曲を聴いて頑張ろうと思います。
というわけで今日の詩歌公論はリョクシャカを取り上げました。
詩を通して人は思いを伝えようとします。
普段喋る言葉だけでは伝わらない思いも、詩にして描くと思ったよりも届いたりするし、そうしないと溜まっている思いが吐き出せなかったりします。
それが音に乗ると、音というルールに則って言葉が生きてきます。
それは時に自分の思ってもみなかった感情を伴って世界に顕れます。
その詩を通じて勇気をもらえたり、感情移入ができたりします。
翻訳の機械が最近出てきていて、なんでも翻訳できる時代にはなっているけど、母国語でさえ自分の言葉で翻訳できないすぐれた詩が世界にはたくさんあります。実際にたくさんの外国語を翻訳できるか、という問いは置いておいて、自分の使う言葉に注意をしてみて、言葉のセンサーを強くすることはやはり大事なことではないでしょうか。
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