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幸せになりたかった母の話

「母親がしんどいんだよね」
毒親友達も含め、私自身も母親に悩まされてるので、
飲み会の時にときどきでるこの発言には、うんうんとうなづく。

母は、気が強く、人の話をきかない。
そして、怒鳴り、「わたしばっかりどうして損な役回りだ」と泣く。
強気と臆病がコロコロと入れ替わる。それがわたしの母、富子(仮名)だ。

富子は、4人姉妹の一番下で生まれた。
富子は幼い頃から、結婚を夢見ていたそうだ。
姉たちが勉学ができるほうだったのに比べて、学校の勉強があまりできなかった富子。常に姉たちと比べられるのが悔しかった。だから自分ができることは、積極的に気づかうこと。親の気持ちをおもんばかり、家業には進んで手伝い、「学校の勉強はできなくても、愛嬌がある娘」という位置をねらった。

そんな中で、富子にとっての2番目の姉に見合い話が持ち上がった。なぜか富子もその見合い話の席に同席をするという不思議な見合い話。そこから、富子にとっての「シンデレラ」話になる。見合いの主人公ではなく、富子をもらいたいと相手がいったのだ。

見合い相手は銀座生まれ。クラシック音楽やハリウッド映画を好み、スキーもスポーツも万能という相手。身長は高く、一流企業務め。次男坊だから、お姑問題はなし。

富子は、それはうれしかったのだろう、姉の気持ちをおもんばかることなく、すぐに結婚を決めた。

だが、そこで富子の夢物語が終わる。
夫となった次郎(仮名)は、結婚直後に糖尿病が発覚。毎月のインシュリン代が重く生活にのしかかった。病院に通院しなければいけないため、仕事にも支障がでる。また、その糖尿病に関連した病気も4年ごとに起きた。休日は家事を手伝うことなく、布団の中でゴロゴロと寝ることが必要となっていた。

それだけならまだしも。次郎兄弟の義母の世話が、長男ではなく次郎に押し付けられた。そして、それは自動的に富子の役割となり、姑が急にできた。子供が3人でき、それなりの幸せな時間もあったようだが、次郎の浪費癖(100万円のスピーカーを勝手に買ってきてしまう、車はスカイライン限定)も富子のイライラを増やすことにつながった。

この頃から、富子の口ぐせ「あたしは女中以下」「うちは下の下」「こんな結婚しなきゃよかった」が確立した。そんなことを毎日繰り返して言っていれば、次郎もよけいそっぽを向く。そうするとまた繰り返される富子の愚痴。終わりのないループになっていた。

この愚痴のはけ口は、子供達に向かった。
自分の思い通りにならないと、怒鳴る。ドアを思い切りしめる。
成績が下がると、家にいれない。
「ここまで育ててやったのは、誰のおかげなんだと思っているんだ」と礼を言わさせる。

小さい頃のわたしは、そんな母に対して「かわいそう、助けてあげなきゃ」と「ムカつく」
という気持ちが両方あった。母の「助けてくれ」という叫びへ対処しなければという責任感と、自分の「もっとわたしを大切にしてほしい」という気持ちが戦っていたからかもしれない。

でも、その母の叫びに対して応じなければいけないのは
父だったのだと今なら言える。母の叫びは、父に向かっていたのだから。

だけれど、今は父がその母の気持ちにこたえることはできない。

認知症が、もしかしたら修復できたのかもしれない可能性を閉ざしてしまった。

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