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午前2時に天体観測をしたかもしれない

深夜を友達2人とドライブしていた。車内の暖房に愛を伝えたくなるような寒さの中、閑散とした街を背景にだらだら喋っていた。眠気を抑えながら頭に浮かんだものをそのまま声に出す作業をしていると、いつの間にか星の輝きを称賛していた。車内全員で夜空を見上げ、それに共感してそのまま天体観察をしようという話なった。自然溢れるところに車を止めて、星を見ることにした。

天体を観察するという機会がほとんどない私は、星空を見るのも久しかった。直近の星要素といえばBUMP OF CHICKENの天体観測を歌ったくらいで、脳には形も分からないほうき星という言葉だけが光っている状態だった。そんな天文学×の赤特能がついた私でもはっきりと分かるくらいに星は綺麗だった。何枚か写真を撮ってみたが、やはりカメラに映し出せる世界は限界がある。友達が「カメラの解像度と肉眼の解像度では雲泥の差がある」という知識を披露してくれたおかげで、この星空を保存するのには肉眼を採用しようと思えた。けどレンズを介した星空も見たかったので撮影もした。

この写真を見て三浦しをん「きみはポラリス」の表紙を思い出した。読んだのはもう何年も前だけど、すごい恋愛小説だったななどと星空を前にして関係ないことを考えていた。

友達が「プラネタリウムみたい」と言った。確かに垂直に見上げればパノラマのように星が囲ってくれる。実際私もこの言葉は喉元ギリギリまで出かかっていた。しかし本物の星を見てプラネタリウムを想起することは、薔薇の花を見て造花みたいというようなものなのか、ハンバーグを見てレプリカみたいというようなものなのかと考えてしまった。でもかの感想は模倣品の賞賛がそのまま実物に通ずるものであって、真実らしさのもとに紡がれたものなのかなどとぐるぐる考えていたけど星が綺麗ならなんでもいい気がしてきた。プラネタリウムも星も素敵だ。

しばらく天体を観察していると、流れ星を見ることができた。想像よりも一瞬で、刹那という言葉がよく似合う。流れ星を観測した方向を眺めていると、再び星が落ちていった。反射的に願い事を唱えてしまった。無意識に出た欲求は「金くれ」だった。「とびだせどうぶつの森」のオンライン島で為される会話みたいで恥ずかしかった。けれど3回言えたので願いは叶う。

その後も何度か流れ星を目撃し、これは流星群と定義しても良いのか?という議論になった。我々の思う流星群ではないため認可はされなかったが、そっちの方がいいので流星群ということにしよう。

もしかするとこれが初流れ星かもしれなかった。星を前にしてBUMPや三浦しをんの小説を思い浮かべる私にとっては最高の夜空だった。

心の中でちょっとだけ、星は過大評価されすぎだと思っていた。歌や詩の題材として、ロマンチックの代名詞としては2が重すぎるんじゃないかと心配している節があった。けれど実際に星を見ることで、彼らにロマンチックを丸投げしようと思えた。君たちがエモーショナルな言葉を引っ張って欲しいと思えた。

気が付けば30分近く天体を眺めていたらしく、冬の厳しい寒さが我々を現実に戻してくれた。流石に空気が冷たいので星座に手を振って車に乗り込んだ。

星に引き寄せられた一連の流れは天体観測だったのだろうか。ただ星を見たことは確かだ。それは誇れる。

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