エヴァンゲリオンの再定義、そして…
見ました?「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」?
Qの公開から8年と4ヶ月待ったかいがあった、すばらしい作品でしたね?
さて、皆さん。この作品を見たあとに疑問に思うことがありませんか?
「なぜシンジは綾波やアスカではなくとマリと結ばれたのか?」
という点です。
新劇場版3作において、綾波やアスカに比べてシンジとの関係があまり描かれておらず、ヱヴァンゲリヲン新劇場版「破」で突如出てきた「真希波・マリ・イラストリアス」との繋がり(マリ・エンド)を疑問に思う方が多いと思うのですが、答えは極めて簡単です。
「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」が実は1990年放送の「不思議の海のナディア」のリビルド作品だからです。
今作は「TV版、旧劇版のエヴァンゲリオン」のリビルドであると同時に「不思議の海のナディア」のリビルドでもあるということです。
ぶっちゃけ、ヱヴァンゲリヲンの皮を被った不思議の海のナディアっていっても過言ではないかもしれません。
シン・ヱヴァンゲリヲン劇場版の英題「EVANGELION:3.0(ヱヴァンゲリヲン劇場版Q)+1.0(不思議の海のナディア)」と意味が込められているのではないかと思うのです。
パリを舞台に物語が始まり、ナディアにおける島編のような長尺の日常パート、南極の大穴、艦長一人を残し特攻をかける戦艦、物語から数年後の時を経たエンディング…まるでナディアのストーリーを一つ一つ追うかの如く物語が進んで行くわけです。
さて、ナディアのラストで主人公の「ナディア」と結ばれたのは誰でしょうか?そうです皆さんご存知!眼鏡の少年「ジャン」です。
不思議の海のナディアの主人公「ナディア」の役割をエヴァでは主人公シンジが演じてると仮定すると(実際ナディアとシンジは顔が似てる…)
ナディアでの「ジャン」の役割をエヴァでは「マリ」が演じてるのではないかと考えられます。(メガネ、ネクタイ、劇中に歌を歌う…それ以外にも共通点がたくさん…)
エヴァでのシンジとマリの出会いナディアでのジャンとナディアの出会いのシーンを見比べると人物の動きが逆になってるだけで実は同じシーンなのです。
(完全に蛇足ですが2008年にノーベル文学賞を受賞した「ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ」っていう小説家が実際にいたりしますね。)
真希波・マリ・イラストリアスは庵野監督がナディアをエヴァンゲリオンシリーズに組み込むためにナディアの世界から召喚したジャンの化身とも言えるでしょう。
シン・エヴァンゲリオンを不思議の海のナディアのリビルドと定義すると、最後でナディアを演じるシンジとジャンを演じるマリが結ばれるのは必然と言えるのではないでしょうか。
まさに「ゼーレ(不思議の海のナディア)のシナリオ通り…」。
ナディア=シンジ
ジャン=マリ の他にも
マリー=アスカ
アヤナミ=キング
ネモ船長=ミサト+高雄コウジ
ガーゴイル=ゲンドウ+冬月
のようにナディアのキャラクターをエヴァでは姿、年齢、性別を変えて登場させています。
キャラクターや舞台以外にも「シン・ヱヴァンゲリヲン劇場版」での「不思議の海のナディア」との引用や共通点が無数にあります。
ナディアの引用でわかり易い例として、エヴァQに登場するエヴァンゲリオン13号機が複座なのはナディアのラストバトルでガーゴイルに洗脳されたナディアとノア皇帝が並んで玉座に座っているシーンの再現ですし、カヲルがシンジのDSSチョーカーを解除して死ぬのも、ノア皇帝がナディアの洗脳装置を解除するシーンそっくりです。と言うよりQのセントラルドグマでのバトル自体がナディアのレッドノアの中でのファイナルバトルのシーンそのままと言っても過言ではないでしょう。
庵野監督は何故「シン・ヱヴァンゲリヲン劇場版」と言う形で「不思議のナディア」をリビルドしたのか?
それは「不思議の海のナディア」を「新世紀エヴァンゲリオン・シリーズ」の一つとして再定義するためと考えられます。
シン・ヱヴァンゲリヲン劇場版のタイトルの反復記号でも表現されている通り、エヴァンゲリオンはくり返し(ループ)の物語です。
くり返しの物語の中に時代、舞台、キャラクターなど全くフォーマットの違ったナディアをエヴァンゲリオンのくり返し(ループ)中の一巡として組み込んだわけです。
ストーリー展開を始め、舞台、キャラクターなどナディアの要素をこれでもかというくらいエヴァンゲリオンに盛り込むことによって、不思議の海のナディアがエヴァンゲリオンのループの一つで有ることを表現しています。
エヴァがナディアの続編なんじゃないか?という説がありますが、そうではなくてナディアがエヴァンゲリオン・シリーズの1作品なのです。
「不思議の海のナディア」→「TV版、新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」→「シン・ヱヴァンゲリヲン」と今作は3度目のエヴァンゲリオンになるのです。
今作の副題がONCE(一度目)ではなくTWICE(二度目)でもなくTHRICE(三度目) UPON A TIMEなのはこの為です。
庵野監督はなぜ「不思議の海のナディア」をエヴァンゲリオンの一つの物語として再定義したのか?
それは「エヴァのガンダム化」のためだと考えられます。
ヱヴァンゲリヲン新劇場版1.0の全記録集のインタビューのなかで庵野監督はエヴァンゲリオンをシリーズとして続けるため、さらにはアニメ業界の発展のためにもコンテンツとしてのエヴァをガンダムのように色んな人が色んな形で作って行けるようにしたい語っています。
ガンダムの場合「Gガンダム」で富野監督によるUC(宇宙世紀)ガンダムのフォーマットから大きく転身をとげ、W、SEEDなど人気作を生み出し、現在も年に新作が一つはあるくらい色んなクリエイターによる色んなフォーマットの作品が作り続けられ、年間247億円を売り上げる一大コンテンツになっています。
富野監督はガンダムしか代表作がないといえばないですがコンテンツとしての売り上げでは日本のアニメ監督の中ではトップです。この点では宮崎駿監督をはるかに上回っています。
ところがヱヴァンゲリヲンの場合、キャラクターを用いたスピンオフはあれどもエヴァンゲリオンシリーズとして、は庵野監督の作品以外は一作も作られていない状況です。
この状況を杞憂した庵野監督は自分の手から色んなクリエイターに対してエヴァを解放する必要があると考えたのです。
前述のインタビューの中でガンダムにおける「Vガンダム」のように「こんな「エヴァンゲリオン」で大丈夫です。」という作品としてのサンプルを一度作る必要がある。実際にこれがないと色んなクリエイターがエヴァをやってくれないと語っています。
これに対して「Vガンダム」のような作品を作るのではなく、
「シン・ヱヴァンゲリヲン劇場版」で設定、舞台、キャラクター等、フォーマットの全く違う「不思議の海のナディア」をエヴァンゲリオンシリーズとして再定義することによって、「こんな「エヴァンゲリオン」で大丈夫です。」という作品としてのサンプルとしたのではないかと考えられます。
そうした理由はおそらく「それが一番手っ取り早いから。」じゃないかと思います。
エヴァンゲリオン以外の作品では公開時期が遅れることのない庵野監督ですが、エヴァに作る事に関してはとにかく時間がかかります。TV版と旧劇で1年半、新劇場版では完結まで13年かかっています。今からサンプルとしてのエヴァを作り始めたら何年かかるかわからないのです。
それより新劇場版を作りつつナディアをエヴァンゲリオンとしてのサンプルとにする方が、簡単で時間もかからないですし一石二鳥だったんじゃないかと思います。
庵野監督からのエヴァンゲリオンの解放が早ければ早いほど世の中に色んなクリエイターによるエヴァンゲリオン・シリーズが生まれ、コンテンツ産業としてのエヴァンゲリオンが発展する可能性が高いのです。
今作のさらば、全てのエヴァンゲリオン。というキャッチフレーズは庵野監督からのエヴァの開放を示唆しているのかもしれません。
宮崎駿監督から風の谷のナウシカを受け継いだようにエヴァンゲリオンも他のクリエイターに受け継がれ、エヴァンゲリオンシリーズがコンテンツ産業として成熟しアニメ業界の発展に繋がる事が庵野監督がエヴァンゲリオン新劇場版に込めた想いなんじゃないかと思うのです。
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