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私が新人看護師だった頃

私は、
高等看護専門学校から看護師になっています。

市立の高等看護専門学校で、
3年生の途中で卒業試験があります。
そして国家試験があります。

就職は、
高等看護専門学校からほぼエスカレーターの
市立病院です。

昔は国家試験に合格したものとして、
勤務だったので、
発表まで生きた心地がしなかったです。

奨学金をいただいていたので、
2年働けば返金しなくていい仕組みに
なっていました。

よくわからないのですが、
これが組織の駒、
理不尽の始まり(笑)
組織改革の始まりだったと思います。
ただ理不尽の中にも愛が見え隠れしていました。

高等看護専門学校の前身は、
准看護学校だったようで、
その人たちが何人かいました。

午前は各外来を担当し、
午後は手術室にきたり、
手術室勤務の人もいました。

准看護師は都道府県知事免許で、
教育も違います。

その当時、
手術室は看護師の花形と呼ばれていたそうです。

准看護師は技術が高く、
高等看護専門学校卒業の私は、
正看護師になり国家資格なので、
都道府県資格より上になってしまいます。

1年前より、
看護師長から主任が責任者となり、
新人看護師が初めて2名配属されました。
私は2回目の新人看護師で、
風当たりが強かったです。

主任や1年先輩が守ってくれました。
おかげで後輩も入りました。

私は、
病棟で勤務がしたかったので、
それがかなう方法で行動しました。

若いだけで、
何もできない、
私に面白くなかったでしょう。

ただいろんなことも教わりました。

今は新人看護師が1人で、
救急の当直をすることはないと思いますが、
手術室看護師は、
救急当番の時の泊まりがあるのです。

きっと心配だったのでしょう。
自分の娘ほど年下の新人看護師なのですから。

何が来ても大丈夫なように、
準備はしっかりしておくことなど教わりました。

そして自分がこれでよかったか?
疑問に思うことは答えてくれました。

ここで退職しなければ、
いつになるかわかりませんでした。

私は晴れやかに次の職場に移りました。

手術室は、
基本会話がないので、
新しい病院では、
点滴の準備が遅いなどの、
最初から病棟ではない私は、
3年目としての苦労がありました。

ただ若かったので、
前職が手術室勤務で、
ちゃんとできるようになるからと、
見守ってもらえるように伝えました。

そして見守ってもらって、
ありがたかったのを覚えています。

スマホも電子カルテ導入もされていない、
大昔ですから、
おとぎ話(笑)のような新人時代です。

今のように、
プリセプティ、
プリセプターもなく、
マニュアルもありませんでした。

昔されていたことが、
今は正しくないこともあります。

今は今の苦労があると思います。

過去を振り返り、
現在なら笑い飛ばせることも、
笑えなかったなと感じています。

人生は長いようで短いです。
どうぞ無理しないでくださいね。

私の経験を書かせていただきました。

最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。


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