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【連載】52Hz 第5回『故郷』

帰る場所なぞこの身にはないが
思い返す場所こそある
閉鎖されたあのワールドが私の故郷

『故郷』

「ルントゥが木偶のような人間になっていた」という言葉が妙に面白がられて、クラス内で流行したことがある。授業中、教師に当てられて答えられなかったり、忘れ物をしたり、とにかくまぁなにかにつけて「誰誰は木偶のような人間になっていた」と言い合っていた。
国語の時間に魯迅の『故郷』を扱ってからのちょっとした流行だった。

『故郷』は全文が教科書に掲載されるくらいの短編で、外国文学の翻訳ものであるのにとても読みやすかった。作者の魯迅本人の経験がベースになっており、革命が勃発した後の、動乱の中国を生き残ろうと、未来を見据えようとした魯迅が、『故郷』の最後の段落に記した文章は美しく、力強い。学校の教科書に載っているものの中で、『山月記』と1、2を争うくらい好きな短編だ。

『故郷』で一番好きで、一番心に残り、そして一番悲しい部分は、小さい頃の主人公にとっての「小英雄」だったルントゥが、今やくたびれたおじさんになってしまっている部分だ。いや、おじさんになったことよりも、主人公を「旦那様」と読んだところか。子供の頃には感じていなかった圧倒的な階級間の断絶を強調するこの「旦那様」という呼び方は、主人公に、本当の意味で故郷はもうないんだと思わせるのに十分なものだっただろう。

故郷は、いつもありのままではいてくれない。流れ流れて変わっていってしまう。心の中にしか存在しない自分にとっての故郷だけが、いつもかわらず、色褪せず残り続けるのだ。

ワールド: Japan Shrine

VR上での自分の故郷はどこだろう、と考えてみた。本当の意味で一番最初に入ったワールドは、当時存在していたポータル的なところなのだが、まったく仕様が分からないまま外国語を話すロボットに(外国人のロボットアバターユーザーなのだが)追い回されたイメージが強く、故郷だという感じはしない。


そうなると、次に入った場所だろう。そこはまだ現存している。 Japan Shrineがそこだ。
初めて入った時のことは鮮明に覚えている。ロードが終わるとセミの鳴き声が聞こえてきて、すごくまぶしくてとっさに手で目を覆おうとした。もちろん意味はないのだが、始めたばかりだから身体感覚とVRの見え方が合致していなかったのだ。そして周りを見渡し、「すげーーーーー!!!」と叫んでしまった。
「え!?マジ!?」
「やば!超リアルじゃん!」
「夏だよ夏!」(当時は11月だった)
とか、いろいろ口に出しながらはしゃぎまわり、当然のようにVR酔いをして頭痛がしはじめ、ついでにパブリックだったようで、見知らぬ人に「あのー…ここパブリックなんですこし静かにしてもらえますか…?というかそもそも日本人ですか?」と尋ねられてしまった(いわゆる迷惑外国人だと思われたらしい)。


その後、彼等に当時のチュートリアルワールドを紹介してもらい(今のように丁寧に案内などしてくれなかった。多分、あまりにも変なヤツだと思われて避けられたのだろう)、そのワールドから直通でいける「ファンタジー集会所」という、こちらも今は無き集会所に行き、そこで本当の意味でVR世界に入ったのだった。


輝く Japan Shrine。
あれこそが私の故郷だ。

しかし、そのジャパンシュラインはもうない。今ある同名のワールドは、たしかレプリカ?だったリブートしたものだかで、私が初めて訪れたものとは大分変わっている。


それでも、こうやって来てみると、全然風景は変わっているのに、初めてVRに触れた時の気持ちを思い出せる。はじめてVRに入ってからはや数年。VR酔いはしなくなり、色々な勝手がわかるようになってきたが、最初に Japan Shrineに降り立った時の感動はやはり格別なもので、もしかしたらもう二度と感じられないものなのだろう。

しかしまぁ、人気ワールドであるとはいえ、久しぶりに来てみると、いわゆる「綺麗系」の最近のワールドと比べて若干作りが荒い気がする。最近では様々なギミックが導入されていたり、「魅せ方」も進歩しているから、 段違いに綺麗になっている。それらに見慣れてしまうと、物足りなく感じてしまうのだろう。
最初に訪れた時の Japan Shrineはこの世のものとは思えないくらい輝いて綺麗に見えたのにな。


『故郷』

HMDを取り、久しぶりに足を運んだジ Japan Shrineのことを思い出し、このエッセイをまとめている。
ん?最初に書いたけど・・・本当に Japan Shrineに始めていった時って、蝉の鳴き声はあったっけ?
いや、あったはずだ。じゃあ社殿の裏手ってどうなってたっけ?
思い出そうとしても、今の Japan Shrineに記憶が上書きされてしまったのか、ぼんやりとしか思い出せなくなっていた。

いやいや。本気を出せばまだ思い出せるから。全然本気出してないだけだし。
ポケットに入れた鍵が見当たらない時に、若干現実から目を背けつつ、まだ鍵を無くしていないことを受け入れられない時と同じく、そう言い訳しつつ、本当に思い出せなかったらショックが大きいので考えるのをやめることにする。

「旦那様」という人がいなくても、故郷の姿がぼんやりと、記憶の霧の中に消えてしまった。

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