アフリカ的な
昨日は大阪に行きました。恩人(故人)の奥様と食事。高島屋の上階で。
「スパイスさん、わたしは果たして人のためになっているのでせうか」「いや、人間ただただ、生命器官を働かせるだけで奇跡なのです。その後のことは明日の事」なんつって。
なので今朝はアフリカな気分。
人類はアフリカに始まったと言われる。聖書には全く記載されていないが、もしかしたらそうかも知らん。
自分は行ったことないけれど、あの大地・佇まいを窺うにつけ、それは十分あり得ると思う。
生命の起源は40億年前に遡り、霊長類が約6,500万年前。俺はクリスチャンだから必ずしも進化論には与しないが、キリストによるインテリジェンス・デザイン(神=最高の知的生命体が創造したという説)に立っても生物は、ただイスラエルで創造されたとは思われない。
ミトコンドリアか人類か、営営たる営みの果てに今日、あなたや私がある。
そしていかなる説であろうとも、我と我が身、そしてうさぎちゃんの構造は緻密極まりなく、朝
「おはよう!」
と起きて来られるだけで奇跡である。
↓ おはよう言ってます。いや、眠いのか。
昨日も奥様に申し上げたのは、人間いろんな生き方がある。例えば三島さんみたく思想()に殉じる人もあり、戦争に行ってあるいは行かされて、命を落とす人もいる。
でもなあ。それって生命を冒涜してやしないかなぁ。
人間は知能が高いとされるけど、だから却って余計なことに囚われる。神の創造物であれ何らかの化学反応であれ、その土台はあくまで「生命・生物」なので、例えば24時間365日、休むことなく延々稼働しているあなたの心臓。それを考えたことがありますか。
神の創りたもうた心臓をつまり生命器官を、好戦だろうが天皇だろうが、そんなことのために毀損するのは罪である。自身はもちろん、神に対して。あるいはご先祖様に対して。
いや、俺だって人のために生きたいですよ。あれに勝る喜びはないからね。
ただ、我が細胞・各種器官の存在と働きは、必ずしも〝思想〝のためにはないんじゃないかしら。
※ここでもはや聖書に反しているかも知れないが(笑)
マルクスは「上部構造・下部構造」と言いました。社会においては下部構造(土台)が経済であり、政治その他は上部構造であると。
彼はだから、まず貨幣や資本、生産手段の分析から始めたわけだが、人間個人に牽強付会してみると、それは
・上部構造=思想や考え
・下部構造=肉体
に当たるように思う。
※これはあながち的外れとも言い切れない。というのもマルクスは「社会の基本は飯だ」と言うておるわけやし。
※ウヨは全く忘却しているが、戦争も、飯食えなきゃ不可能なのは言うまでもありません。
そして自分は、年取って病気がちな昨今(?)というより、子どもの頃からその〝下部構造〝に忠実。生き様は健康オタクの真逆だが、肉体の要求にすこぶる素直という。
俺がキリストの神に招かれたのは、
「被創造物たるを弁えている」
いっぽう、
「肉体の要求欲求に素直である=反キリスト的」
この二律背反ゆえではなかろうか。
ではアフリカ。
◆ソナ・ジョバルテ ー Musow(無双?)
だからさー、「誰のためにもなっていない、むしろ迷惑をかけている」「全く生産活動をしていない」なーんてことは、どうだっていいんだよ。武士は相身互い。
寝たきりでも、充分生きる価値はあります。だってあんたの心臓、動いてんだろ?
アフリカ大地の鼓動的にも。な?
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